一章

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 曹操は本拠地と、30万の兵員と、100万の民を得た。  青州黄巾賊は元々、無能な統治者である青州刺史孔融の被害者である、まともな統治が行われる安住の地を得られれば略奪行軍などする必要はない。  表向きは『降伏』だが双方に利のある『同盟』であった可能性が高い。  青州兵擅擊鼓相引去,眾人以為宜禁止之,不從者討之。賈逵曰「不可」為作長檄,令所在給其稟食。 【青州兵は鼓を打ち、去っていく。それを止めようとした者は討たれてしまった。賈逵曰く「(彼等を止めるのは)不可能だ」そこで青州兵に食糧を与えた。】 『魏略、賈逵伝』  建安二十五年(220年)、曹操が喪に伏した時に起こった事件である。  青州黄巾賊改め青州兵は、曹操が身罷った途端に集団で兵役を放棄し、それを止めようとすると暴れ出して死人が出てしまった。賈逵が彼らに食糧を与えて何とか場を収めたらしい。

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