第1章

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 その頃の、大よその作業スケジュールに則った前例や慣例重視のやり方とは真逆の、この、当時としては画期的な方法は、周りから強硬に反対されたりしたが、目標を達成すればその成果が数値としてはっきりと表われるので、これまでのように、部分部分を担う者の責任の所在が曖昧模糊としていてダラダラと事が流れることがなくなり、結果的に随分説得力があったのだという。そして、これが戦時下並みの緊張感を生んで、互いに作業効率を競うようになったというのだ。  かくして、周りから遅い遅いと言われ続けながらも、艤装工事と着艦装置の設置工事を??予定?£ハり、日本海軍より先行していた英国海軍がもたついている間に??僅か?∴齡Nで完了することに成功を収めたというのである。  ところで、戦いの現場に携わる実行部隊の佐官と作戦立案に携わる軍令部に属する佐官クラスの参謀官とは、対等の協力関係の間柄であるとは言いながら、一つ間違うと抗し難いほどの力関係が発生してしまい、特に戦闘艦艇などの艦橋内に於いては、艦長と云えども参謀官の発言力に押されてしまい、主従逆転の関係ともなり兼ねなかったという。それでどうかすると、現場における主導権のみならず作戦遂行の決定権までをも奪われ兼ねなかったというのだ。  何と云っても参謀官というのは、一目でそれと分かる、右胸に飾緒と呼ばれるモールを付けた、佐官以上の軍務成績優秀にして、上官から推された者しかなれないエリート集団なのだ。しかし、今回は実戦に向けた作戦行動を行う訳ではなかったので、現場に参謀官が張り付くことはなかったから、菱田大佐はこれ幸いとばかりに、海軍軍令部からの指示や要求を悉く握り潰していたという。その意味では確かに只者ではなかった。それに、意外にも、航空機と戦闘艦とが連携すれば、これまでになかった程の強力な兵器(もの)となるのを誰よりも確(しっか)りと認識していた男だったのだ。  その証拠に、吉成らが行った、海軍軍令部がやるなという艦上スレスレの飛行訓練を繰り返すのを、この要是非ともありとして許して、度々海軍軍令部と意見の衝突を起こしていたというが、決して自分の主張を譲ろうとしなかったという。
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