第1章

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 この様な、深刻な事情であるにも拘わらず、どこからかストップが掛かっているのか、軍令部側が渋って何故か試験をやらせないところをみると、海軍内で意思統一がされていないように思われた。しかも、どうやらどこからか本機を制式採用させまいとする横槍が入っているようでもあった。  そこで、メーカー側としては、艦上戦闘機として制式採用を認めようとしないのなら、自社で性能を証明するしかなかろう、と成り行き上仕方なく自力による試験飛行を考えるようになっていた。  ところで、これを担当する、海軍軍令部第一部長である新島大佐は、時折独断専行するなどして暴走しやすいと言われていた男だったが、大佐となってからも、晴れがましい役目であり箔がつくとして皆が望むという、空母や戦艦などの大型戦闘艦の艦長の声が掛からないのは、軍令部が重宝な奴として、彼を部内から外へ出そうとしなかったからだ、との専らの噂であった。  このところの海軍では、海戦において、先の日清戦争、日露戦争、更に第一次世界大戦における、対ドイツ戦においても負け知らずであったから、日の出の如き勢いがあり、その勢いは留まるところを知らずといったところであるからして、まるで我れに触れなば誰あろうと辺り構わず蹴散らさん、といったほどの勢いで、新島大佐のみならず、軍の将校らは常に外部の誰に対しても高圧的であった。だから、彼らの相手をする方の者としても、どうしても、正面から相(あい)対すると気圧(けお)されてしまうのである。  ところが、市民感情とは現金なもので、日本の陸海軍に勝ち戦の勢いがあるうちは軍人を敬い、それこそ腫れ物に触るようにしていたものが、のちの太平洋戦争末期に戦局が悪化し、重要拠点の争奪戦において負け戦が続くようになると、列車などで軍人に席を譲るのを露骨に渋る者もいたというが、これも宜(むべ)なることかなといったところであろうか。  さて、その四者による話し合いは、今回も肝腎なところで互いに妥協点が見い出せず、話が中々前に進まないといった、相変わらず重苦しいやり取りが続いていた。が、ここで長い沈黙のあと新島大佐が重い口を開いた。
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