あの終りのない夏の日に

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小さな森の木立の間を流れる小川にサンダル履きのまま入る。 その冷たさに「ひゃっ」と里夏(りか)が声を上げる。 私は右手の人差し指を口の前に当てて「しっ」と言うと虫取用の網を構える。 銀ヤンマだ。 普段は都会っ子である事を標榜する私が、この時ばかりは田舎の少年の真似をする。 俄か仕立ての疑似自然児ではあるが、やはり都会で生まれ育った里夏にはそこまで見抜けない。 踝の上まで冷たい水に浸かりながら一歩二歩と銀ヤンマに近付いて行く。 後ろにくっ付いて来る里夏が邪魔だったが自然児は大らかでなければならない。 更にもう一歩踏み出そうとしたその時、宙に浮いていた銀ヤンマが突然、私の方に向かって飛んで来た。 私は驚きの余り、ふんぞり返って闇雲に網を振る。 二人揃って水の中に尻餅をつきそうになったところをどうにか踏み止まった。 そこでもう一度身構えようとした時、網の中が騒々しい事に気付いた。 これを奇跡と呼ぶのか幸運と呼ぶのか、分からないが偶然にも振り回した網の中に銀ヤンマが入っていた。 「お兄ちゃん、凄い!」里夏が目を丸くして言う 里夏は二人切りの時だけ、私を「お兄ちゃん」と呼ぶ。 私もその時には「リカちゃん」ではなく「リコ」と呼び返す。   「リコ、行くぞ!」 銀ヤンマを虫かごに入れると小さな森を抜け出て、その先にある丘の緩やかな斜面を上る。 照り付ける夏の陽射しで襟首がジリジリと焼ける様に熱い。 背後の森から蝉の鳴き声が追い掛けてくる、そんな気がして私は上へ上へと逃げる様に駈け上がる。 「お兄ちゃん、待って」押し寄せて来る洪水の様な蝉の鳴き声の中から里夏の小さな声が聞こえて来た。 私は立ち止まり振り返る。 遅れて上って来る里夏の真っ赤な頬っぺが目に飛び込んで来る。 「大丈夫かい、リコ?」私は近くまで来るのを待って手を差しのべながら訊く 「うん、大丈夫」里夏はそう言って首を横に振った「平気よ、さあ上ろ、お兄ちゃん」 私は手を引っ込めると黙って頷き再び上り始める。 いつの間にか夏草の生い茂った斜面全体に蝉の鳴き声が響き渡っていた。    
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