あの終りのない夏の日に

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近付いて行く私に気付いたその少女は驚いた様に顔を上げた。 しかし私と目が合うと何故か表情が見る間に和らいで、自然に笑顔へと変わって行く。 よく見れば少女と言うよりもまだほんの幼女である。 そして、その愛くるしい笑顔を目の当たりにした途端に私の裡で経験のない動揺が起こった。 彼女が何処の誰でそこで何をしているのかと言う疑問が消えてしまった訳ではないのだが、それよりも強い感情が私自身を支配していた。 この瞬間の胸の高鳴りは今でも覚えている。 そして暫しの逡巡の末、私がいざ彼女に話し掛けようとした、正にその時に玄関の方から「あら」と言う声が聞こえて来た。 その声の主こそ母の妹つまり私にとってはこの時が初対面となる叔母であり、同時に目の前に立っているいたいけな少女の母親であった。 この叔母は私を見るなり「あなたが真介くんね」と笑顔で話し掛けて来た。 そして黙って小さく頷いた私に自分たち母娘の自己紹介を手短に済ませると、続けて娘の里夏に私を「従兄の真介くん」ではなくて「従兄の真介兄ちゃんよ」と紹介した。 「しんすけ兄ちゃん!?」と驚いた風に目を大きく見開いて里夏は言う 私は、兄ちゃんなどと呼ばれた事がなかったので少々面映ゆい気もしたが、里夏にそう呼ばれてみると満更でもなかった。   そしてそれ以上に、そう呼ぶ時の里夏の嬉しそうな顔がとても愛らしくて、こんな妹が本当に欲しいなどと思ってみたりもしていた。 私は2つ歳下の従妹を前にして完全に舞い上がっていた。 後日、私は里夏を初めて秘密の場所につれて行った時に、二人だけの時は「お兄ちゃん」って呼んでいいよって言ってみた。 すると彼女は「二人だけの時はずっとお兄ちゃん?」と真顔で訊いて来る。 「そうだよ、ここで約束しよう」 「うん、約束する、する」里夏はそう言うと笑顔に戻った しかし、その時の私は里夏の言った言葉の意味など考える事なく返事をしたのだった。 ずっとお兄ちゃん…      『お兄ちゃん、里夏は結婚します…』 手紙と共に届いたのは結婚式への招待状だった。 里夏とは、あの葬儀場の前の歩道で別れて以来会っていなかった。 もう5年になる。    電車は冬の寒空の下、母の実家のある町へと走り続けている。  
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