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「ずっと待ってるから」
君は言った。
「待たなくていいよ」
僕は言った。
今でもその言葉に後悔はしていないし、それで良かったのだと思っている。
僕が生まれ育った土地を発つとき、君はいつも同じ言葉を口にした。僕も、同じ言葉を返した。
それでも再びその地を踏むと、やはり君は屈託のない笑みで僕を迎えてくれた。
待たなくていいと言った僕を。
文すら滅多に送らなかった僕を。
己の弱さを知り、淋しさに負け、君の知らない地で違う女と情を通じた僕を。
君は、いつもいつも、待っていた。
嬉しかった。
そして、辛かった。
師に託された志を成すため、同志である友らとの時間ばかりを優先させた僕は、君に女としての幸せなど何一つとして与えてやることが出来なかったから。
夫婦(メオト)となってから、君に触れたのは片手ほどもなかったかもしれない。
待たなくていい――待たないでほしい。
君の手を唯一の帰る場所としながらも僕は、いつもそう、願っていた。
だから今、あの言葉に後悔などしていない。
今度こそ本当に、君の元へは帰れないから。
大筒(大砲)の音が響き、鉛玉の飛び交うこの京の町。嘆願は聞き入れられず、この屋敷からも既に火の手があがっている。
残された道は最期まで己の責を全うすること。
志のままにあること。
だからもう、待たなくていい。
僕のことなど忘れ、君には君の刻を生きてほしい。
待たなくて、いい。
ただそう、願うばかり。
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