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「えーー? まだパジャマのままなんですか? 早くしてくださいよ先輩」
歯ブラシを持ち、洗面所の鏡を覗き込んでいた玉城(たまき)は、甘ったるいその声にがっくりうなだれて振り返った。
「あのねえ多恵ちゃん、もう一度言うよ? 今日は俺休日なの。オフなの。昼まで寝てたっていい日なんだ。ついでに言うと昨夜は取材が長引いて深夜になって、多恵ちゃんが来る2時間前にやっと寝たんだ」
玉城の視線の先には、まだ学生気分の抜けきれない22歳の菊池多恵(きくち たえ)がニコニコしながら立っていた。
朝5時の事だった。
けたたましく連打されたドアホンに起こされ、玉城は眠い目をこすりながら社員寮のドアを開けた。
そこには2年ぶりに会う菊池多恵が微笑んでいた。
多恵の背後では、まだ抜け切れていない台風が轟音と共に玉城を威嚇してる。
2年ぶりだというのに、台風を背負ってやってきた多恵の開口一番のセリフは、
「ボロいアパートですねぇ、玉城先輩」だった。
多恵は玉城の高校時代の友人、菊池守の妹だ。
守の家に遊びに行く度に、猫のように玉城にじゃれて仲間に入りたがる、人なつっこい2歳年下の女の子だった。
同じ高校に進学してきたため、多恵は玉城のことを先輩と呼び、まるで本当に妹のように玉城を慕い、なついていた。
細身で小顔。おまけに童顔で、見た目はすこぶる可愛らしいのだが、遠慮というものがまるでない。
玉城が大学を出て地元を離れてからは、菊池守とはたまにメールのやり取りをする程度の付き合いだったが、昨夜突然守から電話があった。
「多恵が大東和出版の面接を受けることになったんだ。玉城、そこの仕事もしてるって言ってたよな。妹がいろいろ聞きたいって言ってるんだ。遊びに行かせてもいいかな。初めての面接ですごく不安だって言ってるし」
へえ、もうそんな歳なのか、と感慨に浸りながら快くOKした玉城だが、まさか連絡も無しに次の早朝5時、しかも暴風の中、押し掛けてくるとは思ってもなかった。
「深夜バスが4時に到着しちゃってさぁ~」
多恵の説明は何の言い訳にもなっていなくて、いつもながら潔い。
「ねぇ、風も弱まってきたし午後の面接の時間までどっか遊びに行きましょうよ、先輩」
お前の面接への不安はどこへ行ったんだ。
玉城は溜息をついた。
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