7人が本棚に入れています
本棚に追加
母が何故か、おとうさんと呼び、耕作を羽交い絞めにした。
「母ちゃん、和弘は生きとる!死んでなんか、おらん。ほら、見て!火なんかかけてしもうて。和弘は、火の中から熱いって起きあがっとるが!はよう、水かけんと死んでしまう!」
「おとうさん、和弘さんは、空襲で死んでしまったのよ!もう、何十年も前に死んでるの!」
「嘘を言うなよ!和弘が死んだなんて嘘だ!俺が目を離した隙に、和弘が出てしもうて、爆弾で死んでしもうたって言うて!和弘の死体を、皆の死体と一緒に焼くって言うて!油と火をかけられた!でも、和弘は生きとったんよ、母ちゃん!だって、俺、炎の中で起き上がるの、見たんよ!だから、今なら助かるかも!」
耕作は、そう叫んで、ざぶざぶと水を手ですくうと、川原にかけ続けた。
後ろから、男が耕作の体を、強い力で羽交い絞めにした。
「父さん、帰ろう?な?家へ帰ろう。もう戦争は終わってるんよ。和弘さんはもうおらんのよ。」
「離せ!俺は、和弘を助ける!」
暴れる耕作を、その男と、先ほどの少年が押さえつけ、両脇を抱えられた。
「和弘!和弘!かずひろーーーーー!」
「ねえ、あなた。もう限界よ。おとうさんを施設に預けましょう?」
家族が真剣な顔で、相談している横で、耕作は濡れた寝巻きを着替えさせられて寝息を立てている。
「ああ、もう家族で介護するのには限界があるな。」
そう答えたのは、紛れもない、耕作の息子である。
「自分の孫のこともわからなくなってるんですもの。ある日、和也のことを、和弘って呼びはじめた時にはびっくりしたわ。」
和也は心配そうに、耕作の寝顔を見ていた。
和也は、おじいちゃん子で、耕作のことが大好きだった。
最初は、しっかり者の祖父が呆け始めた時には驚いたが、もう随分と長い間、和也は和弘の役をこなしていた。
右利きだったのを、わざわざ左利きの練習をしたりして、和弘に成り切っていたのだが、つい昔の習慣で、右で箸を持ってしまい、和也は自分を責めていた。
「おじいちゃんを、施設に預けてしまうの?」
和也は、涙目で母親を見た。
「もう、限界なのよ、和也。」
「俺が、もっと頑張って和弘に成り切ってたらよかった。」
涙ぐむ和也の頭を父親が撫でた。
「お前は十分頑張ったよ。お前の優しさは、じいちゃんを十分幸せにできたと思う。」
最初のコメントを投稿しよう!