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聞けば対象は五十歳を過ぎていても意識が明瞭だったという。道を間違えないのは当然として、複雑なレシピを寸分の狂いなく再現したり、大昔の出来事を旧い順に的確に語ったり、十六人も居る孫を毎度間違えることなく名を呼べたりと、こんなことが起きる予兆を何一つ見せなかったらしい。
「良くない――があったのよ」
妻がガタガタ震えて呟いた。
「――が何かの呪い――――噂も……」
「何が何の呪いだって?」
夫の方の言葉に久也はカッと目を見開いた。直感が働いたのだ。これは重要な話だ、と何かの脳内警報が鳴っている。
「明け方の霧が北の民からかけられた呪いだって噂されてるそうだ」
「エッ」
背後からかかった、深みのある若い女性の(たまに猫が喉を鳴らす音に聴こえなくもない)声に、久也は無意識に肩を硬直させた。声に驚いたのもあるが、言われた内容が内容だったので。
「縁起悪(わり)ぃな」
「む? どういう意味だ」
振り返った先に居た、巫女姫サリエラートゥが首を傾げる。今日も今日とて腹を出した格好をしているが、「そんなんじゃ内臓冷えるぞ」などと今更突っ込む気にはならない。
「俺の苗字(ファミリーネーム)が『朝霧』なんだよ」
「ほう! じゃあこの霧はお前の意思で制御できるのか!?」
巫女姫は手を叩き合わせ、目を輝かせている。
「いやいやいやいやいや。なんでそうなる。苗字の意味がそのまま異能に繋がるんだとしたら、今頃日本はスゲー事態になってるから」
久也は右手をひたすら振って否定した。それなら「山川」なんて苗字の人間は山を動かしたり川をせき止めたりできるのか? 全国の「鳥羽」さんは鳥の羽を生やして大空を飛び回れるのか? 「海老瀬」さんは? 「金泉」さんたちはどうだ?
そして日本以外にも名前に意味を込める国は多々ある。
なかなか無茶な世界が想像できたので、乾いた笑いを漏らす以外にどうしようもない気持ちになった。
「まあ、今回の件と重なったのはただの偶然だろ」
「そうか。つまらんな」
心底面白くなさそうにサリエラートゥは口を尖らせる。
「まさかホントにそんなことできると思ってなかっただろーな」
「思わない。が、ほんのすこーしだけ、異渡りならば或いは――と期待した」
「………………さて。本題に戻るか」
おかしな話は畳むことにする。気を取り直して、久也は夫婦との会話をサリエラートゥにも教えた。
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