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まともに動くのは腕と足が一本ずつだけなのに、かろうじて上へと泳ぐことができた。不思議と誰も妨害しない。
「ぷはっ!」
ただの空気がこれほどまでに美味しいと感じたことはこれまでに無かった。素晴らしい。空気とはなんて素晴らしい物なのだろうか。
喘ぎながらも肺を満たし、岸を目指した。
身じろぎひとつしないクロコダイルの横で座り込む。逃げたいのに、逃げる力がもうどこにも残ってなかった。
「げええええええ」
「ぎいいい」
水から次々と顔を出す人魚たち。その奇声にぎょっとした。
「えっ! 何!?」
人魚たちは赤い汁をペッペッと吐き出している。奴らの口内の液と自分の一部だった肉が混ざったナニカであることは考えてはいけない。吐き気がするので。
「不味い」
低くしゃがれた声がそう呟いた、ように聴こえた。
(マクンヌトゥバ語じゃなかったよね?)
耳が拾った音節と、脳が読み取った言葉に関連性は無かった。無いと判断できたのは、自分の知らない言語だったからだ。言葉を形成するとはまるで思えない音――数種類もの舌を鳴らす音や、「キィキィ」との甲高い鳴き声や、喉の奥からの威嚇音みたいなのが混じっている。
ならばなぜ意味が通じたのか。
「やはり、滝の神が染み込んだ肉は不味いの」
「喰えたもんじゃないわい」
「不味い不味い」
文句の羅列だ。拓真は反応に困った。
「薄味じゃが、ぬしは滝神と縁があるのじゃな。白いのに」
「白すぎるのに」
「異界の人間のくせに」
「珍しい異界人の肉にありつけると思うたのによ」
「噂だけは聞いていたが、実物は想像以上に白いのう」
聞き流している内に段々と拓真は言いがかりに返事をしたくなった。なので一言だけ漏らした。
「はあ、すみませんね」
人魚たちは一斉にこちらに視線を注いだ。
よく観察してみると、人魚たちは手に六本ずつ指が生えているようだった。どうでもいい発見である。
「謝っても許さぬぞ。ああ、不味い。この後味が半日は続くと思うと、ああ」
「半日ってすごいね。ねえ、なんで話通じるの?」
好奇心が高まって、つい訊いた。
滝神さまのおかげで助かったとわかった以上、気が緩んでしまっているのだろう。それに彼女らの口ぶりだともう食べられる心配は無さそうだった。
「わらわたちがぬしと話したいから、話せるようになった。それで十分であろ」
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