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「いっやー、そんなノリで済むなら翻訳者とか要らないよね」
「いらぬわい。ぬしは阿呆じゃな」
ぎょろりと睨まれて、拓真は少しだけ怯んだ。しかしせっかく命拾いしたのだ、情報を引き出すくらいはしたい。めげずにまた話しかけた。
「えっと……人間の肉が好物って本当だったんだね」
「わらわたちは人間の肉が好きじゃが、人間だけじゃないぞい。地の上で育った肉はどれも美味ぞ」
「滝と縁が浅ければ浅いほどになあ。滝の神はわらわたちには毒じゃ」
「へえ、そうなの」
もしかしたら、英が人間の餌を持って人魚たちと交渉したとは限らないのか。彼の人間性の中に良心がまだどこかに残っているのではと期待してしまう。
「ほれ、ちょうど美味そうな肉が来た。ああいうのも好きじゃぞ」
「え?」
拓真は指差された方向を振り返り、数瞬ほど思考が停止した。
二十五メートルほど先に既に乗り越えたつもりでいた試練が舞い戻ってきていた。鮮やかな緑色の茂みの中から、黄褐色と黒い模様の毛並がのぞいている。さっきのヒョウが遅れながらも追って来ていたのだ。
おそらく腹部の怪我からは鮮血が滴り続けているのだろう。放って置いても力尽きるまで間もないはず、そう自分に言い聞かせる。
「そうじゃ、ぬし、あれを狩れ」
「ちょ!? もう一回あのお方と戦えって!?」
問い質す声がうわずった。何故突拍子もなく無理難題を振り掛けられなければならないのか。
「できぬのなら、ぬしはワニのエサじゃ。選べ、あれに喰われるか、ワニに喰われるか」
人魚の群れは揃って不気味な笑い声を立てている。そこに口が裂けんばかりの笑顔が添えられる。背筋がゾッと冷える光景だった。
(理不尽だなあ!)
奴らは拓真にこの場を逃れるだけの体力が残っていないとわかっていて弄んでいるのだ。要望に応えたところで見逃してくれる保証だって、きっと無い。
「どっちも無理だって」
「両方同時に喰われるという道もあるぞい」
「…………あちらのネコさんとじゃれ合わせていただきます」
深く考えたわけではない。単純な距離の問題だ。まだちょっと離れている豹の方が比較的怖くないような気がする。
(止めを刺すのかぁ)
道徳について考えている暇は無かった。やるかやられるか、命のやり取りは今も続いている。
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