31.歪む境界線

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 洞窟の中に戻ろうと踏み出した直後、切羽詰った声がした。振り返り目を凝らすと、よろめきながらも河辺を歩く小柄な集落民がいた。大きな布を頭上で両手で広げて雨除けに使っている。その下から見えるのは手ぬぐいを頭に巻いた若そう女性。大きな黒目が印象的な、見知った顔。ユマロンガだ。 「何でここに」 「たまたま、戸締りしてたら、あなたが、この天気、の中……出て行くのが……見えた」 「それだけで追って来たのか!?」  崩れそうな天候を前にしても家を出て追って来てくれた――そこまで心配してくれるとわかるだけでもかなり嬉しいのに。  ユマロンガの息遣いは苦しそうだった。それもそのはず、集落の人間は巫女姫と一緒でなければ神力に当てられて、滝神には近付けないのである。 「手伝う、わ」 「無理すんなよ、フラフラだろ。俺が何をするかもまだわかってないくせに」  そう声をかけてやると、少女の足取りは何故か力強くなった。ようやっと洞窟の前まで来ると、彼女は岩壁に肩を付き、苦しげな深呼吸を何度か繰り返した。 「あなたは、他の誰も知らないことを、知ってる。同じ場所で同じものを見ていても、何かが、違うの。きっとあたしたちにはできない考え方ができる、から」 「そりゃあ考え方が違うってのはあるかもしれないけど。買い被りだ」  思考することを放棄したらそれは人間でいるのを諦めるのと同じだ――それが、久也の持論である。格好つけているみたいで恥ずかしいからあまり口にはできないが。短所と捉えるなら考えすぎて肩に力が入りすぎていると言えるし、長所と捉えるなら思慮深くて良い意味で慎重、とでも言える。環境と評する人間によりけりだ。  ユマロンガは河の方を見つめて唇を噛んだ。彼女も場面の異常性を感じ取っている。唇を噛むことで嘔吐の衝動を必死に堪えているのがよくわかる。 「あなたを手伝うことがきっと皆を救う手になる。何でそう思うのかなんてわからないわよ。なんとなくよ。今は他には何もないんだから、賭けるわ、それに」  宣言の後、ユマロンガは布を下ろして真っ直ぐ見つめてきた。思わず息を飲まずにいられない真摯な瞳だ。 「その思い切りの良さ……アンタも大概、漢(オトコ)だな」 「? 知らない単語だわ」
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