31.歪む境界線

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 別にそれは間違っていないし、同情して欲しいとも思わない。  久也だって集落の人間を大事に想っているし、故郷にも関わりのある問題だ。やらない、などと逃げられるわけがない。  こちらが断らないのを知っていて教えてくれたのなら、半ば嫌がらせみたいな忠告だ。だったらいっそ教えてくれなくても良かったのに、神は人間にそんな細かい気遣いをしないのかもしれない。そう思うと妙に晴れ晴れとした気分になった。 「いいぜ、やってやるよ」 「ほう。案外決断が早いな」 「これでも俺は医学に携わりたいと思ってたんだ。死んだ人たちのことは可哀想だし一人一人丁寧に弔ってやりたい気持ちもある。でもまだ助けられる命を優先するのは道理だ。抵抗はあるけど、克服してやるさ。でないと、この先延々と後悔する結果になりそうだ」  後悔どころではない。ここで行動しなければ、今後は普通に生きることすらできなくなる。 「ならば入り口のあの者も招き入れてやれ。多少の手助けにはなろう」  滝神は笑んで祭壇の台に飛び上がった。 「けど、神力に当てられるんだろ」 「そなたが『巫女姫』に代わるのじゃ。そなたが神力を一身に集めていれば、周囲の者も多少は楽になろう」 「ああなるほどそういうことか」 「さあ青年よ! 走れ!」  大げさに両手を広げてから、ぱしゃりと滝神は水飛沫と化して散った。 「消えるの早っ! しかも走れとか、俺がふくらはぎの肉削いだってわかってるくせに! アンタ実は鬼畜属性だろ!」  相当に場違いな罵倒を返してやるも、勿論返事は無かった。 (右腕とかにしとけばよかった。でも左手じゃうまくナイフ持てないし)  これからしなければならない末恐ろしい作業から、思考の焦点を逸らそうと必死になっているのは、自分でもわかっていた。  だがすぐに気を取り直して歩き出した。謎の酒の効果で痛みはあまり無いが、出血が止まらない。止血しよう、とは何故か考えなかった。 (平穏が恋しい)  出された食事を口に入れるか否かがその日で最も重要な決断だった頃が。当時は平穏とも思えなかったのに――毎日の生活に順応する為に右往左往していたのが、蚊(マラリア)に警戒しながら寝床についた夜が、今となっては随分と可愛い思い出だ。  拓真も、サリエラートゥやユマロンガや他の大勢の集落の民も、おかしなことが続く日々とオサラバしたいはずだ。
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