6人が本棚に入れています
本棚に追加
見覚えのある幼稚園、横断歩道、並び立つ一軒家。公園の並木からは葉がそっと散っている。この頃は熱帯っぽい場所で乾季雨季しか経験していなかったので、秋の風景が懐かしいとすら感じる。現代の文明機器もだ。自転車、信号機や車、駅など、そういえばそういった複雑な物を生活の中で毎日使っていたんだな、と今更ながら思い出す。
やがて見知った表札の前で、二人は静止した。
「って、何を律儀に玄関で止まってんだ。俺たちは幽体離脱状態だ。窓から入ろうが屋根から入ろうが、誰にも見咎められないし邪魔されない」
「あ! そうだったね。でも屋根は、天井通るイメージがマジで幽霊だからやめよう」
二人は窓から入ることにした。
寝室や居間、台所などと浮遊してみた。が、家の中には何の気配もない。
「誰もいないね」
壁のデジタル時計に注目した。気温十七度、時刻は午後二時半。
「仕事か授業中か」
「一応、香(かおり)ちゃんの大学行ってみる? もしかしたら、可愛い妹に会いに行ったのかも」
「わかった。お前が先導しろ」
「いいよ」
イメージするだけで精神体は流れるように進んだ。視界も段々とはっきりしてきている。
道中、かの有名な人魚がトレードマークの珈琲店や黄色いM字が派手なチェーン店などの上を通った。
「ス○バにマ○クか。懐かしいなぁ」
「コーヒーもファーストフードも向こうには無いからな。こうして見ると恋しくなるな」
「久也コーヒー好きだったもんね」
「仕方ないさ。もう手に入らないものを欲しがるのは往生際が悪い」
「うん」
とりあえず、この状態では視覚は使えても嗅覚は使えないらしい。コーヒーやフライドポテトの匂いなどがわかれば、これ以上に後ろ髪を引かれる想いで通り過ぎたかもしれない。
そこから大学の敷地に着くまで、そう多くの時間はかからなかった。ちょうど授業の合間の移動時間に当たるのか、行き交う多くの生徒の姿が見えた。
その中から藍谷香の姿を視認した途端、拓真は殴られるような衝撃に見舞われた。台湾旅行の途中で別れた時に比べて、茶色に染められた髪がやや伸びている。美女なのは変わらないが、記憶に比べて頬はやつれており、肌や服装、身だしなみからは色彩が欠いている。数ヶ月過ぎても眼前で友人を失くしたショックは残るのだろう。それでも普通に生活を保ち続けているのには安堵した。
最初のコメントを投稿しよう!