37.閉ざされる未来

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「私は、なんて無駄な時間を過ごしてしまったのだろう――――などと、誰が言うか。無駄ではなかった。願いの為に足掻いている時間は決して無駄ではなかったよ」  男性は鼻で笑った。どこか、聴く者を縛り付けるような抑揚だった。  香はその場に凍り付いて、息をするのも忘れた。それからも独り言は怒涛のように続く。 「頭のどこかではわかっていたさ。元の世界に戻っても、何も得られるものはない。徒労に終わるとわかっていても、望みを捨てることはできなかった」 「私は戻りたかっただけなんだ。その願いの為なら何でもやるつもりだった。私にはそれしか、無かった」 「何者をも押し退けてでも欲しい物があるのは――時には狂おしいほど辛くとも、恐ろしく幸福であった」 「ああそうだ。幸福だったさ」 「ほかならぬお前たちなら、この気持ち、手に取るようにわかるのではないか」  男性は一方的に話している。なのに、まるで会話相手がいるかのようだと、今になって気が付いた。言っていることに至っては半分くらいしか飲み込めなかったが、或いは混乱した頭が理解しようとしていないだけかもしれない。  せめて後ろ姿だけでも一目見よう。そう思って、香は靴下が触れるか触れないかの感覚で、そっと足を忍ばせた。  そうして盗み見ることができた男性は、随分と見慣れない服装をしていた。古代マヤを舞台にした映画にでも登場しそうな格好は、和室にひどく不似合いである。  褐色肌で贅肉の少ない肢体、細かい三つ編みと鳥の羽根の混じった長い髪、怪しげな刺青とピアス、派手な色の腰布――褌とも言うが前後に垂らした布がかなり長い――どれをとっても香には馴染みの無い物ばかり。  ところが男性の腕の中には、よく見知った毛むくじゃらの生き物が抱かれていた。彼の肩の上に顎を休めていた猫がこちらに気付いて、頭をもたげる。 (しまった)  ナァ、と飼い猫は一声鳴いた後、するりと男性の腕から飛び抜け、香にすり寄ってきた。 (こンのバカ猫! あんた人見知りでしょ!?)  やや今更な八つ当たりを含めて睨んだが、猫は構わずにのんびりと歩み去る。  どちらにせよ、時既に遅しだ。不審者の紫色の双眸はしっかりと香の姿を映していた。 (……って、紫色?)  よく見ると男性は全身から淡い紫色の燐光を放っていた。
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