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しかしこちらとしては断る理由が見つからなかった。むしろ、滝神の洞窟よりもこの空間の方が広い分、大勢の人間の前で見せしめとして捧げることができる。滝クニの民の士気を上げ、敵側の戦意を完全に削ぐことが。
滝神の巫女姫、サリエラートゥもその案に承諾した。更には特別に愛用の骨製のナイフを拓真に手渡した。そのやり取りを見て、久也は鉛を飲み込んだような心持ちになった。
背筋が凍るほどの静謐。
北の部族は意識のある者さえも皆大人しい。最初は長の容態を見て騒ぐ者も居たが、英が何かを呼びかけて以降は黙りこくっている。
「本当は凄く後悔してる。もっと早く後を追っていたら、こうなる前に英兄ちゃんに何かしてあげられたかもしれないって」
拓真は地面に膝をつき、横たわる男の胸の上にナイフの尖端を滑らせた。 声も手も震えていた。
英は胴体に刺さった箒を両手で掴んで、自ら引き抜いた。一瞬目を眇めた以外には、痛がる素振りを見せない。傷口からは最初は血がどくどくと溢れ出たものの、数秒の内におさまっていた。
「ふん。お前は馬鹿だな。どこかで人生に損してそうだ。当時十歳だったお前に何ができた? この世界で右往左往してる間に豹にでも喰われてただろうよ」
「ちょ、ヒョウの話はやめて。切実に」
拓真は大袈裟なまでに怯んだ。構わずに英が語り出す。
「私はお前たちのように滝神の集落に馴染むことができなかった。いつ寝首をかかれるのか、そういったことばかりを考えた……それは私の弱さだった」
「…………かもね」
ナイフの尖端があまり時間をかけずに行き先を定めた。
「結局私は、最も恐れていた結末を迎えるのだな。これも業(ごう)か」
生贄にされる未来を怖れて集落を飛び出した男の因果か。皮肉だったが、失笑の一つも漏れなかった。
「でもなぜかな。今はそんなに恐ろしくはない」
横たわった英は穏やかそうに腹の上に両手を重ね合わせた。
「あの少女は、苦しかっただろうか。意識がなくともどこかで痛みを感じていただろうか。せめて、『死者に逢わせる花』によって少しでもいい夢を見れたならいいが」
「知らないよ。そんなの」
対する拓真は傷付いているようだった。何に、は本人にしかわからない。
英は長いため息をついた後、カッと目を見開いた――
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