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「あのね、さっき電話があったの。でも知らない人からの電話は出ちゃダメだよって、お兄ちゃんの言い付けはちゃんと守ったからね」
「いい子だ。表示に名前出たか?」
「うん、永嶋(ながしま)さん、だったかな」
その名を聞いて、硬直した。久也にとっては優しい夢に冷水を浴びせかけるような名前だった。
これまでにもごく稀に同名の人物から電話がかかってくることはあった。その都度、詐欺師だから絶対に出るなと、朱音には何度も教えた記憶がある。だけどこの時の久也は、これまでの記憶の中の自分とは違う選択をした。
それ即ち、過去との決別である。
「朱音、次に永嶋サンから電話があったら出てもいいぞ」
「え、いいの?」
「その男と関わるかどうかはこれからお前と母さんが決めることだ。俺はもう邪魔しない」
「邪魔ってどういうこと、お兄ちゃん?」
「俺は父親が連絡をくれてもお前に伝わらないように、留守電のメッセージを消したりハガキを隠してた。ずっと前から」
告白をしても夢の中の妹は怒らなかった。何もかもを悟ったような柔らかい表情でいる。
「そうだったんだね。でも、もう大丈夫だよ。大丈夫だから、お兄ちゃんは待ってる人の所に帰ってあげてね」
そんな大人びた笑い方をするような子ではないと、心のどこかではわかっていた。本当の妹は少しわがままで、寂しがり屋で、人を笑って送り出すより泣いて送り出すタイプだった――はずだ。
これは夢だ。自己満足の、幻。自分の中のわだかまりを自分で消す、心の清浄化。
(まあ、会えなかった間に成長した可能性も無きにしも非ずか)
――ごめん。
謝罪の言葉を綴った途端、眩い夢が崩れて無に帰した。けれど、あまり悲しくは無かった。
やがて、闇の中に音が響く。
(このまま意識が戻らなかったら――)
焦りに彩られた若い女の声だ。日本人女性とはかけ離れた低めで色っぽい声音。すぐに誰のものか思い出せた。彼女を宥めるように、若い男の声が答えた。
(大丈夫、久也は戻って来る。ちょっと感傷に浸って時間がかかってるだけだよ)
不意打ちに、その発言に寒気がした。
(おいおい、なんでそんなに的確にわかってやがる。親友とはいえ気色悪いな!)
もはや目を覚ます以外の選択肢は存在しなかった。
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