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幸い、消化器官はまだピンピンしている。井戸から汲み上げられた水を飲んだりもしたので、明日からが問題ではあるが。回虫・線虫・条虫……と忌まわしげに唱えながら飲んでいたのは当然、久也だけだった。
「ねーねー、久也」
蛙の鳴き声の合間に、ふと呼ばれた。
互いに背を向け合って横になっているが、狭い家の中では、寝返りを打てば肩がぶつかりそうなほどに近い。そのため声も簡単に届く。
延々続きそうなマイナス思考から気を紛らわせられる、そう思って僅かに安心した。
「何だ拓真」
「…………香(かおり)ちゃん、大丈夫かな。落ち込んでるよね多分」
「あー……兄貴のみならずお前まで消えたんじゃ、トラウマになるかもな」
藍谷(あいたに)香の、あの最後に聴いた悲鳴を思い出す。これからは自責の念に捉われることとなろう。
「つーか相当ショックだろ。藍谷サンは、お前が好きだったんじゃないか」
「えー? 何言い出すんだよ急に。それはないよ」
肩越しに呑気な声が届いた。
やはりわかっていなかったか、と久也は心の中で嘆息する。
「急じゃあないけど……まあそれはいいとして。俺、いつか自分が死ぬ時は病気による肉体の衰弱か、交通事故かなと漠然と思っていたよ。異世界で生贄って、また随分と斜め上だなオイ」
「はは……やっぱりさ、最後に生きた人間が現れたのが二十年前なら、英(すぐる)兄ちゃんは死体として流れついて来たのかな」
「そういうことになるな」
「信じられない。あの英兄ちゃんが自殺なんてするかなぁ。十年前は海外の大学に受かったばっかりで、将来有望だったんだよ」
香と同じく、拓真は自殺の線を信じていないらしい。
「わからん。俺にはわからないことだらけだ。情報を集めるにも、謎を解くにも、当面の課題は言語の習得だな」
「そーだね。明日からがんばろ」
「だな。とりあえず余計なことは忘れて、寝るか」
「うん、お休み久也」
「お休み」
まるで魔法の呪文だったかのように、その挨拶を交わした途端に意識が霧に包まれて遠のいた。
なんてことのない、滝神(タキガミ)さまの御座(おわ)す郷(くに)で過ごした、それが最初の夜だった。
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