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若い女がいかに無防備な生き物であるかは以前からそれなりに理解があったのだが、流石にこの状況は信じられない。男の腕に胸を当てていて気付いていないのか、意識していないのか、どちらであっても他意は無さそうだ。
左手を回せば少女はすっぽり腕の中におさまる。壁に押さえつけることも簡単。
暗闇で美女と二人きり。
振って沸いた馬鹿げたシチュエーションだが、久也とて恋愛感情と関係なく美人は普通に好きだ。何より風呂上がりの石鹸の香りに当てられて――少し先で人間の死体が解体されたというこの場所の異常性を忘れてはいけないが――そもそもその解体を行ったのがこの少女――今ここで腕を回して少しくらいぎゅっと抱き締めたって不可抗力――きっとさぞややわらかいはず――――
「だあああああっ! アウトォ!」
「な!? 急に叫ぶなヒサヤ! 近い! あとこだましててうるさい!」
久也はどこかに残る理性を総動員して五歩ほど後退した。
「ど、どうしたというのだ」
「なんでもない。さっさと先を行け」
「言われずとも行くさ」
暗闇から不機嫌そうな声が返った。が、構ってなどいられない。
(あ、危ない。調子に乗って押し倒そうもんなら……)
クニのお姫さまに手を出したら最後、どんな報復に遭うのか。気温の低さとは違う理由で寒気に震えた。
拓真には絶交されるだろうし、何より巫女姫本人に背負い投げの一つも喰らわされたって文句は言えない。最悪ボコボコにのされるか、刺し殺されかねない。どれほど美味しそうでも、世の中には絶対に触れてはならない領域というものがある。
幸い、祭壇の前に着いた頃には元通りに落ち着いていた。
「確か例の代物は物置棚にあったはず」
チッ、と火打石を打ち合わせる音がして、松明に炎が点った。巫女姫の顔が至近距離から照らされる。手ぶらだったのにいつの間に手にしたのか、彼女はそんな物の在り処まで見なくてもわかるらしい。
明かりに目が慣れた頃には、サリエラートゥは粘土板を一枚手にして戻ってきていた。
久也は差し出された粘土板を受け取った。ひと時流行っていたネットブックを三倍のぶ厚さにしたサイズである。両面にびっしりと記号がしたためられている。
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