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女児の方はもう少しぐずる。
お兄ちゃんと呼ばれた少年はにっこり笑った。四角いフレームの眼鏡をかけ、短く髪を切りそろえた、若干落ち着いた雰囲気を纏う少年だ。部活帰りなのか、制服姿でスポーツバッグを肩にかけている。
「善悪と礼節は男も女も平等に覚えるべきもの。正しい躾の為ならば女の子だろうと僕は容赦しないね」
「すぐるにーちゃん、きょうもなにいってるかわけわかんなーい」
既にお許しを得た男児が楽しそうにぴょんぴょん跳ねる。
「香! ごめんなさいするまで帰らないからね。おなか空いても知らないよ?」
「おにいちゃんのいじわるー!」
「意地悪ではありません、愛のムチです。僕は香にまともな大人になって欲しいんだよ」
ぽかぽか殴りかかる妹を軽くあしらいながら、やはり少年も楽しそうに歯を見せて笑うのだった。
*
シャボン玉が弾けたのと似た要領で、小早川拓真は覚醒した。
周囲には物凄い霧がかかっている。
(あれ、夢? 超懐かしいなぁ。中学生の英兄ちゃん)
先日確認できた彼の変わり果てた姿と「まともな大人」というフレーズを思い浮かべ、唇の間から乾いた笑いが漏れる。
拓真は寝ぼけ眼を擦りつつきょろきょろと辺りを見回した。自分を見下ろせば、麻を縫い合わせただけのシンプルな寝巻き姿のままなのがわかった。裾はローブのように開いていて、袖も広くて短い。
(夢遊とか、こんなん生きてて初めてだけど)
空気は少し冷えているし、集落は静寂に包まれている。
日も昇り切らない早朝で誰も起きていないのだろう。妙な状況だ。背筋が冷たい手で撫でられたような感覚があったが、理由はわからない。
霧が引いて頭も冴えて来たそんな頃、背後の自宅から物音がした。同居人が口元を押さえてふらっと出てきたばかりだ。
「あれ? おはよう……? って、異常に早いね」
声をかけてみるも、久也は振り返らずに手をパッと短く振っただけだった。まるで「こっち来るな」と言いたげだ。よく見ればかなり青ざめている。
家から少し離れた茂みまで早足に進んで、彼は片膝ついた。後姿しか見えないが、音から察した。
「え、ええ? 大丈夫?」
嘔吐しているのだと気付いて、拓真は傍まで走り寄った。吐き終わるまで背中をさすってやった。
朝一番に吐いたからか、吐瀉物はほぼ透明な胃液のみである。となれば消化不良ではなさそうだ。
「具合悪いの?」
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