19.社交的に生きるのが本質

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「リスクが数値化できないからじゃないか」 「そんなもんかな」  言われて見れば、日本に居る間はどの道を通れば危ないかとか、どうすれば病気にならないのかとか、情報はいくらでもあった。年間、交通事故でどれだけの人が死ぬのか、先進国でならばそれを知識として得ることは簡単だ。  だが発展途上国は違う。ふとしたことで人は亡くなる。予報にも出ない突然の天災はあるし、原因不明の病もありふれている。だからこそ人々は呪いや天罰を信じやすいのかもしれないが。  でも、と拓真はまた口火を切った。 「独りじゃなくてよかった。久也と一緒でよかったよ。この世界で骨を埋めることになっても、元々の『小早川拓真』って人間を知ってる人が一人でも残ってるってのは、なんかわかんないけど心強いんだ」 「聞き捨てならないな。お前、俺より先に死ぬ気か」 「うーん、どうだろう」  拓真は曖昧に笑った。  病でぽっくり逝く危険が常に生活の中にあるが、危機はそれだけではない。物事の全容を見つめている久也ならきっととっくに気付いているはずだ。 「元々の自分も何も無いだろ。今ここに居るお前だって十分にお前だ。集落の人間が知る『タクマ』はお前そのものだ」 「えー、うーん。久也は我が強い? からそう思えるんだよ。それって結構難しい考え方だと思うよ。これまで築き上げた関係とか、自分が所属してるグループとか、人はそういうのに執着しちゃうから。それに相手が違うと接し方も違うじゃん」 「己の内側の性質だけでなく、周囲との関わり方が人を構築するって話か。それはわかる……が、お前に限ってその心配は無い。いつ誰が相手でも自然体だろーが」 「あ。そうかもしんない」 「元々の自分のことだって、こっちの人に語れば済む。そりゃあ実際に共に過ごした人と感覚は違うだろうけど」  自分のことを語るにはまず誰かに心を開くことが前提だ。それも難しいことであるはずなのだが、拓真は集落に来てからの日々をざっと思い返した。自分たちは殻に篭もって顔見知り二人だけで生活してきたのか――?  答えは否だ。成り行きのままに、言葉が通じなくとも老若男女構わず集落民と関わってきた。言葉がある程度喋れるようになった以上、そうと決めたらいつでも誰かに自分のことを語れると思う。 「うん。おれらは大丈夫かな」
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