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「すみません、彼女が何か粗相をしました?」
聞き覚えのある声が、耳元で響いた。
高すぎず、低すぎず、じんわりと柔らかい声色。
「何もしていない訳ないですよね。そうじゃなきゃ、無抵抗の女性を階段から突き落とすなんて酷いこと、すすんでするはずないですもんね」
健の身体を支えている男の声は凛として、その空間に響き渡る。
その場にいた数人が何事だと振り返った。
野次馬に囲まれた男達はいたたまれなくなったのか、顔を見合わせてその場を離れた。
事がおさまるのを見届けると、周りの視線はまた散り散りになる。
健は、背後にいた男の顔を確認した途端、何も考えられなくなっていた。
彼はふ、と人懐こい笑みを零す。
「魅力的なのかな。君はよく絡まれるね」
「……まな、と」
「うん」
「真叶、ほんとに真叶……?」
「寺島真叶本人。双子や兄弟はいないよ」
ひと夏だけの思い出だと思っていた。
外国人のナンパ男達から守ってくれて、ハワイを案内してくれて、たくさんの思い出とたくさんの笑顔をくれた青年。
たった数日で、健の大切な人になった。
もう、2度と会えないと、
終わった恋だと思っていた。
「言ったでしょ、また会えるって。
真叶の“マナ”は、奇跡って意味だよ」
覚えている。
この言葉も、笑顔も。
「なんて、ね。本当は仕組んだけど」
「え……」
「学生自治会役員秋田健。そんな目立つ肩書きがあれば、この大学の学生ならみんな知ってる」
「この大学の……学生?」
感情も、理解もついていかない。
そんな健を一人置いて、真叶はいたずらが成功した子供のように白い歯を見せて笑った。
「映画製作学科2年。大学の課題をハワイで撮ってた」
「そんなん……奇跡でもなんでもねぇじゃん」
ようやく理解が追いつくと、体の力が一気に抜ける。
彼はふわりと笑い、でも、と続けた。
「俺は、奇跡だと思ったよ。
俺が気まぐれで行った場所に、好きな子がいた」
「……」
「その子が、俺を好きになってくれた」
「っ、まだ好きとは、」
「好きでしょ。健は俺のことが好きだ」
彼の、この自信に満ちた顔はずるい。
「ねぇ、来て。見てほしいものがあるんだ」
「見てほしいもの?」
「急いで!始まっちゃう」
そう言うや否や、真叶は健の腕を掴むと階段を駆け下りた。
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