忘れられない1日

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***** 「それじゃ出掛けてくる」 必要最低限な荷物を持ち、浮き足立った心を落ち着かせながら声をかけた。 出来るだけさりげなく、しかし迅速に、我が家から逃走を試みる。 「え、お兄ちゃんどこか行くの?」 「…………」 ……聞こえなかったフリは一度まで。 歩みを早め、玄関で今日のために準備した靴に手をかける。 「ちょっとお兄ちゃん?」 「……何だよ急いんでんだけど」 捕まってしまった……。 すぐさま逃げ出せるよう、靴を履きながら顔を妹の方へと向ける。 「どこか行くの?」 「あぁ」 「今日クリスマスだよ?」 「それがどうした」 「毎年『カップルのイチャイチャホヤホヤ顔なんて見たくねぇ』とか言ってこたつにこもってるのに」 「買い物行くだけだよ」 「そんなにオシャレな格好して?」 「俺は普段からオシャレだよ」 「昨日丁寧に磨いてた靴を履いて?」 「俺は普段から足元には気をつけ……おま、見てたのかよっ」 「ふふーん」 妹が得意げに靴を履いてる俺を見下ろす。 こいつ、目ざとさだけは一級品だな。 「ありがとう、ごめんなさいは言葉にする。嫌そうな顔はしちゃダメだけど、笑顔は包み隠さず!だよ」 「はぁ?」 「お兄ちゃんは鈍ちんだから、気持ちをなかなか言葉にしないこと、表情乏しいことを頭に入れておいてね」 「うるせ」 荷物を持って立ち上がる。 時間には充分余裕があるけれど、こいつの意見を聞く時間を取るつもりはない。 「ちょっと待って」 「なんだよ」 「んっ」 妹が手を伸ばして俺の髪に触れる。 何事かと思ったら、髪を整えてくれてるようだ。何だかむずがゆい。 「今日ぐらいワックスとか使ったらいいのに」 「俺の主義じゃない」 「あっそ」 急にしけた顔をして妹は家の奥へと帰ってゆく。 心の中で不満を漏らしながら扉を開く。 冷え切った空気が、服の上から身体に吹き込んできた。 思わず身体が縮み上がる。 「いってらっしゃい。頑張ってね」 寒さに耐えながら振り返れば、ニヤニヤニヤニヤ。 そんな顔が目に入って、ぶっきらぼうに扉を閉めた。 「……くそったれ」 だからクリスマスは嫌なんだ。
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