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長谷川はいつもの自分のデスクに座り、グリッドvol.35の校正刷りをじっと見つめていた。
3回に分けられた”現代芸術家の新星・密着特集”は、今回の12ページが最終だった。
ミサキ・リク。
個展もやらず、名を売ることになんの興味も示さない24歳のその青年の絵は、小さな画廊から静かに火がついた。
月刊美術専門誌「グリッド」の女性編集長、長谷川は、彼が唯一気を許す友人であるフリーライターの玉城の協力を得て、何とかその取材権を勝ち取ったのだった。
まるで「野生の生き物」と言ってもいいほど扱いにくく、人付き合いの苦手なその画家、リクから。
我が儘を通し、リクのページは通常のCMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)のプロセスカラーにプラスして、特色インクを使わせてもらった。
製版や割り付けも通常と異なり、コストはかさむが、どうしてもリクの絵の繊細な色を、紙面上に再現したかった。
長谷川の横では、校正課の新人女性社員が緊張して立っていた。OKが出ればすぐに本刷りに掛かれる。
校正刷りは綺麗な仕上がりだった。美術誌として申し分ない。
けれど訳の分からない苛立ちとモヤモヤが込み上げてくるのを感じ、長谷川はGOが出せなかった。
「色校はOK。でもまだ少し時間があるから念を入れて文字校正してみて。前号の後記に脱字があったでしょ? 今回は絶対そんなことの無いようにね」
バサリと校正刷りを女子社員に渡す。
「はい」と、少しうわずった声を出してその子は編集室を出ていった。
「何か嫌なことでもありました?」
後ろの席から後輩の松川が、椅子の背に体重を預けて訊いてきた。
今日も無精髭を生やし、寝癖の髪を左手で撫でつけてニヤニヤしている。
「髭を剃らない癖っ毛男が後ろの席にいるからね。きっとそのせいよ」
「癖っ毛の事は親に言ってください。で、順調に発行部数も延ばしてるグリッドに、何かご不満な点でも?」
「不満? そんなもの無いね。我が子のようにかわいいよ」
「我が子か……」
松川はニヤリと笑った。
「意外だな、長谷川さんにも母性本能があったとは」
「殴られたく無かったら前向いて仕事しな、松川」
特に怒った風でもなく長谷川がサラッと言うと、松川は「ヘイヘイ」と笑いながら自分のデスクのPCに向かった。
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