薬師

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カタンと音を立てて置かれた一つの箱 「今日も、天気が良いですね」 古い縁側に続く襖を開いてそう呟いた。 昇りきっていない光は庭の緑を差し置いて私の目を霞ませる。 ほら、と言うかのように後ろを振り向いてもそこにあるのは、古臭い箱ただ一つ。 震える思いを心の奥底に閉じ込め 自分の影に染まる箱を見て無理を承知で笑って見せた。 「ご恩師様」 その声に答える音は聞こえない。 消えていく私の言葉を聞いてくれたのは置かれた薬箱のみ。 「行って参ります」 人気のない部屋で、三つ指をついて頭を下げる。 顔をあげれば、泣いてしまいそうだった。 いっそ、泣いてしまえば楽になれたのかもしれない。 それを選ばなかったのは忘れたくなかったからだ。 長く下げていた頭を上げ、名残惜しく立ち上がる。 振り向くのは少ないほうがいい、心から慕ったからこそ未練は大きくなるばかりだった。 縁側に続く襖をそっと閉じ、戸が閉まる最後の最後まで私はその箱を見つめた。 笑っていってらっしゃいと言うわけでもないその光景はパタンと戸が閉まり切るまで続いた。
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