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物心ついたときから薬の匂いに囲まれて過ごしていた。
毎日聞こえる何かを磨り潰すかのような音。
そしてその音に混ざって聞こえる沢山の声。
狭くない部屋の真ん中で、箱を横に笑っていたのは私が最後まで目に焼き付けたその面影と変わらない恩師だった。
「捨て子だったんです私」
「名は?」
「香乃と。恩師が付けてくださいました」
薄ピンクの小さな花が集まって魅せるその花が私の名だと教えられた。
遠くから見ればぼけて見えるその花は、とても繊細だ。
白でもなく赤でもない花弁は物静かではあるが近くに寄るととても気高く咲く。
― カノコソウ -
人を安心させ、精神を落ち着かせる薬草だ。
花に利用価値はないが、茎と葉はとても貴重な薬になる。
「その薬草は鹿の子の草と示され、カノコソウと言われるそうです」
「そこから、カノと。いい話じゃないか。」
「山奥の湿地帯にしか咲かない珍しい花なんです」
その言葉に他意はない。
恩師は私を拾い、香乃と名を付けた。
香乃と呼ばれた私は、その恩師の背中を見て生きてきた。
自然に身につく薬の知識。
一枚の葉を薬というモノにする方法。
それぞれに違う服用の意味。
恩師が薬師という道を選んだ理由は聞いたことはなかったが、毎日毎日その手から生み出される人への希望は私に薬師を選ばせる十分な意味になっていた。
少し話が過ぎたようだ。
窓から入る風が冷え始めたのを合図に、広げていた道具を片づけ始めた。
その折、三角に折られた薬包紙を5つその青年に手渡す。
「この薬を眠る前に飲んでください」
「これは?」
「痛みを抑える薬です。夜のお体は痛みに弱くあります」
感覚が研ぎ澄まされる夜は、身体が痛みに素直になる。
痛いから危ないと判断した脳が睡眠の妨げや、不安定な心を作ってしまうのだ。
強制的に眠らせるのが案外身体の為になることもある。
薬包紙を受け取った青年は、納得したように受け取り机の片隅にそれを置いた。
そしてまた、その視線を私に戻し続きを始める。
「今、恩師はどうしているのだ?」
「数年前に亡くなりました」
「そうか惜しいな」
「それを機にこちらに。今は城下でしがない薬屋です」
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