薬師

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行ってきますの声に答える人が居なくなった家は少し閑散として見えた。 私一人で住むには広すぎる家、しかし薬師としての知識にあふれた家。 引き出しを開ければ薬が、机の上には薬学書が、床には薬道具が。 世に比べればちっぽけな狭い空間に広がる世界は、恩師の死をきっかけに眠るように時が止まった。 あの家を出たのも、最後に忘れないために涙を堪えたのも全ては世界を知るため。 「薬師殿、城下に身を置いているのならばここの軍医にでもなったらどうだろうか」 「軍医ですか・・」 「あぁ、戦が絶えない時代だ。手負いの者もその分此処には多い」 「とても有り難いお話ですね」 足を踏み入れることさえも許されない宮中の一室。 ここに赴いたのは必然だったのだろうか。 私はあの日、薬草を山に採りに行っていただけだった筈だ。 戦帰りの一隊が山道を進むのが見え、咄嗟に身を隠し様子を伺ったのを覚えている。 早く通り過ぎてくれればいい。そんな事を思いながら木を背に空を仰ぐ。 小さな戦だとは聞いていたが、隊の列は思った以上に長かった。 「今日はこれ位で仕舞かな・・」 手に下げられた籠には重ならないように葉や茎が置かれていた。 あと半分くらいは採る予定だったものの、致し方ない事情だと判断し列が途切れるのを待った。 人の歩く音にしては重たい足音は、土や草を何一つ見向きせず続く。     ―――――――――っ!! そんな中、ザワついたのは一瞬だった。 大きな音と鎧のぶつかる音で心臓が高鳴った。 何かが、馬から落ちた。音を聞いただけで誰もがそう思っただろう。 落ちたものが“物”だったらどれだけよかったか。 「ど、退いてください!」 それが人だと判断したときには積んだ薬草が混ざり合うのも構わず走り出していた。 ざわつく周囲に、警戒する数名の一兵卒 無礼者だなんて言われたって気にやしなかった。 目の前で人が生と死の選択をしているのだ。   無礼者はどっちだ。 叫んだ私に驚いたのは兵だけではなく私自身もまた、その言葉に自分への恐怖心を抱いた。
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