恋しさのカタチ──奇跡の街にネコが降る・番外編

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「知ってる? 夏目漱石は羊羹が好きだったんだ。それも凄くね」  知りません、と私は首を振りながら答えた。 「”余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好きだ”と述べて、どう見ても一個の美術品だと称賛したそうだよ」  無類の甘党なんですね。 「洋菓子のケーキも美味しいけれど、やはり日本人は和菓子だよね」  あなたも甘党なんですか? 「うん。だから仔猫の名前は、ヨウカンで決まりだね」  どうやら、飼い主に命名権はないようである。  私のアパートまで仔猫を運んでくれて、あの人が失念していたように名乗った。 「僕は卯月です。きみの名を教えてください」  私は雪です──そう名乗りながら、私とちがって暖かそうな名前だと羨ましく思った。  それから色々とあって、あの人が私の部屋に来るようになった。 「雪さん、知ってる? 前に言った言葉と矛盾するけれど、羊羹は中国から伝来したスイーツなんだよ」  また、知りませんでした。 「しかもね、元々はご飯のオカズだったんだよ」  それ、吃驚です。 「漢字で羊羹と書くよね。それは羊肉を使った羹(あつもの)という意味だそうだよ」  嗚呼、なるほどです。 「だから今日は、ヨウカンをお鍋にしよう」  それ、笑えません。  あの人が私の緊張をほぐそうとするけれど、あいにく楽しいとか倖せに慣れていない。  普通の生活がわからないのだ。だからいつも、本当に申し訳ないと思っていた。
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