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まだまったく聞き取れない速さで、部屋まで案内してくれた寮監が奏多に何かを言っている。
おそらく、「今日からここがお前の部屋だ」だろうか。
部屋の中には、奏多より先に入寮していた少年二人が、奏多をもの珍しそうに眺めている。寮監は、横で荷物を抱えたまま突っ立っている奏多の背中を強く押した。転びそうになりながら、なんとか耐えて、ここから数年間暮らす部屋に足を踏み入れる。
また寮監が早口で何かを言った。かろうじて"Namen"だけが聞き取れる。
なめん。name――名前のことだ。
名前を言えばいいのだろうか。上目遣いで寮監に伺ってみたが、もう一度同じ言葉を繰り返された。ぜー、なんとか、なんとか、なめん。
「あ、えと、い、Ich freue mich, Sie kennenzulernen. Ich bin Kanata Tanokura」
ここにくる前に、義母からこれだけは覚えろと叩きこまれた言葉を、そっくりそのまま発する。
しかし、奏多の自己紹介にかえってきたのは、シン、とした沈黙だった。
発音が下手すぎて通じていなかった?
不安になるが、寮監が自分の仕事は終わった、とでも言いたげに息をついているので、きっと問題なかったはずだ。それが余計、奏多の心細さを煽った。
四つの、碧色の瞳が奏多を値踏みするみたく見つめてくる。荷物をいれた鞄を握っている手に力を込めて、必死で部屋から飛び出したい衝動と戦った。
『何かあったら、この子たちから訊きなさい』
寮監は奏多には残酷にも思えるそっけなさで何かを言い残して、古い木戸を閉じた。
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