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で、次に諦めたのが、コミュニケーションの一部。 他人になにも言わずに喜怒哀楽を悟ってもらうこと、である。 そう。 この病に掛かると、表情が見えない。 体は服やアクセサリー、手袋があれば大体の輪郭を他人に伝えることが出来る。 髪も感触と勘でミツアミにして先端にリボンでも結んで置けば、どこらにあるかわかるし、頭頂部は帽子がある。 顔も耳はアクセサリ、目には眼鏡でマスクでも着ければ、これもまた輪郭は伝えられる。 だが、どの手段でも、表情は見せられない。 化粧道具があれば最低限眉の位置くらいは伝えられるのだが、顔の位置にファンデーションやアイライン、口紅だけが浮いていると言う見た目はすこぶる不気味なのだ。 そもそも化粧は苦手なこともあって、その手段は早々に諦めた。 だから、私が私の感情を他人に伝える場合、それを口に出す必要がある。 喜怒哀楽が伝わるような声色――それは、透明病に掛かってから私が磨いた生活の知恵とも言うべき手法だった。 私が立ち止まったのに従って自分も止まった藤堂は悪びれもなく私にレポートを返し、見えない左手を手探りで握る。 「じゃあこっちがいい」 指を一本一本確認しながら藤堂の右手と絡められ、がっちりと繋がれる。 私の指は伸びたままなのだが、どちらにせよ見えないため、藤堂の手の繋ぎ方だけが浮き彫りになった。 俗に言う、「恋人繋ぎ」の手の形が。 「……藤堂」 「ん?なに?」 「何の嫌がらせだ?」 こういう時は、透明病は楽でいい。 意味もなく慌ててポーカーフェイスを作る必要も、赤面を気にする必要もないのだ。 声色を間違えなければ、相手に感情が伝わることはない。 「酷いな、とーめいさん。嫌がらせなんてとんでもない」 正直に言おう。 透明病を発症する前から、私は異性に対する耐性がない。 小学、中学では色恋に興味はなくピンと来なかったし、女らしい性格でもなかったので、男子も女子も普通に友達だった。 そして高校は女子高で、高校生活2年目で発病。 基本、容姿から始まる恋愛沙汰に、顔が見えない私が対象となるわけもなく。 現在大学3年目。 藤堂忠光なんて言う、学部でも顔がいいと有名な変人に恋人繋ぎで左手を取られ、何も感じないわけがない。 有り体に言うと驚くし恥ずかしい。
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