4 家が広い

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 独りで暮らすには広いかもなあ、と家で自室に充てた二階の和室に入り、苑子は思う。部屋の中に父はいない。死んでもまだ人間なので娘に遠慮をしているのだろう、と苑子は考え薄く笑う。  幽霊も魂も信じていない苑子だが、独りで家に暮らすのは確かに怖いかもしれないとは思う。今は不思議と怖くも淋しくもないが、実際に独りになればその考えも変わるだろう。安売りする気はないが、今時両親のいない家付き娘――ただしアラフォー――は世間の男たちにとって結構美味しいか、と自嘲気味に考える。それから父はそんなこと考えるわたしを心配してまだこの家にいるのだろうか、と邪推する。襖を隔て、二階のその部屋と繋がる廊下の先に洗面台があるのは、そこが元両親の寝室だったからだ。家を建てた当初に二階はない。ぼくたちが結婚したときに改装した、と苑子は父から聞いている。苑子はハネムーンベビーではなかったから、もしかしたら自分はこの部屋で命を得たのかもしれない、と初めて苑子は思い至る。すると女としての母の姿が一瞬苑子の目前に浮ぶが、すぐに消える。想像してはいけないと苑子が思うより先に消えたので、自分にとって母はあくまで母であり女ではない、と苑子は気づき、溜息を吐く。  洗面台で歯を磨き、寝巻きに着替えて枕元の時計を見ると深夜三時過ぎ。不思議なことに時刻を知った途端、それまで冴えていた頭の中が急に濁る。けれども眠気はやって来ない。それで子供のように柵を越す羊の数を数えていると却って目が覚めてしまう。それで、また父の未練について考える。脳動脈瘤破裂による突然の死だから、もしかしたら父は自分が死んでしまったことに気づいていないのかもしれない。苑子がそんな想像をする。  が、それもないな、と苑子はすぐに否定する。  自身の脳動脈瘤破裂にこそ気づけなかったものの、その後の自分をあの冷静な父が見失うはずがない。生前の父の人となりを思い出し、苑子は結論づけるのだ。
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