三十 証拠物件

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三十 証拠物件

 ハバナのドアが開いて笑顔の若女将の亮子が現れた。佐介を見て頷き、真理に、 「迎えに来ました」  と声をかけている。 「じゃあ、みんな、帰るベ!温泉に浸かってから、一杯、やんべ!」  真理は麻取に退店を促した。 「わかりました。帰りましょう!帰ったら精算しましょう」  神崎誠と下田広治が立ちあがった。真理が麻取を睨んで笑顔になった。 「気にすんな。あたしのおごりだべさ」 「釣り具店といい、この店といい、ありがとうございます。  釣りは、おもしろいっすね!」  神崎誠が感激したように言った。本音で話してる。 「次回も、釣りだね。今度は、釣った魚、食ってみたいな・・・」と下田広治。 「殺生ですよ。いいのかね?」  麻取たちは明るく振る舞ってマスターと店員を見ないようにしている。  マスターは明らかに二人と顔見知りだ。それもかなり親しい・・・・。  亮子が、麻取たちを見る佐介の横に近づいた。 「サスケさん、真理を考えてね・・・」  佐介の耳近くで囁いて真理の方へ移動した。麻取や店員たちの思考を読もうとする俺の雰囲気は、常人とは違うらしい・・・と佐介は思った。  午後五時過ぎ。 「じゃあな!晩飯で飲むべえよ!」  風月荘の一階ロビーで、真理が陽気に麻取たちにそう言った。 「では、缶ビールを買ってゆきますんで」  麻取たちは真理の雰囲気に感化されて、周囲の客を気にせずに大声で釣り談義しながら、ロビー左手の娯楽エリアにある自動販売機へ歩いている。 「あたしらは部屋へ戻るべ。キーを頼む」  真理はロビー正面右手のエレベーターへ歩きながら呟いた。 「気づかれないように、麻取を見るんだ」 「わかった」  佐介は真理から離れて、フロントへ歩いた。フロントの女性に会釈して、左手を見た。麻取たちはソファーに座って、釣りの仕草をしながら大笑いしている。 「サスケさん、釣りはいかがでしたか?」  フロントの女性が、カウンターにキーを置いて微笑んでいる。 「たくさん釣れたよ。キャッチ アンド リリースさ」  真理と若女将の亮子のおかげで、佐介の名はここまで知れ渡っている。 「良かったですね」  女性は目尻を下げてさらに笑顔になった。 「ありがとう。皆さんのおかげだよ」  女性に礼を言ってキーを受けとった。真理がエレベーターホールで待っている。佐介は真理の元へ小走りに歩いた。  佐介が真理の横に立つとエレベーターのドアが開いた。真理を先に乗せて、佐介はエレベーターに乗った。周りに誰も居ない。  ドアが閉まった。同時に、真理がふりむいた。そのまま佐介に抱きついてきた。 「しっかり抱きしめろ。二人は?」 「二人とも、釣り談義してた」  真理の手が首に絡んだ。佐介を引きよせて唇を触れた。 「佐伯の伯父さんに連絡して、パイプタバコ、調べてもらうべ」  真理は唇を触れたまま話している。タバコの包みは、佐介のジャケットのポケットの中だ。 「真理ちゃん、人が・・・。監視カメラも・・・」  佐介は、五階に着く前にエレベーターが停まって人が乗ってきたらどうしようと思いながら呟いた。 「人なんか気にしねえぞ!もっと強く抱きしめろ!  抱いたまま、腰、揉め!」 「えっ!どうした?」 「アハハッ、疲れたべ」  無理もない。風月荘についてから、若女将と真理を演じてる。亮子も疲れてるはずだ。 「ここだね。部屋に着いたら、もっと揉むよ」  佐介は真理を抱きしめたまま、固まっている腰の筋肉を揉みほぐした。  五階の自室に戻った。 「ああ、伯父さん。上山田温泉街のパイプタバコの店『パイプと葉巻のハバナ』で・・・」  真理は並べた座布団に俯せて、刻みタバコを入手した経緯をスマホで説明している。  佐介は真理の腰から尻、太股の裏、脹ら脛、そして、尻から腰へ戻って、背筋から肩を揉んだ。 「そいで、タバコの成分と包装の指紋を調べて欲しいんだわ。誰かタバコを取りにきてくんないかな?ウッ、ウッ、ウッ・・・」  真理の腰を揉むたびに、真理の口から呻きが漏れる。 「二十時に間霜刑事を行かせましょう。顔が割れてませんから」  長野県警の佐伯警部は本部長の権限を越える特務官だ。麻取は佐伯警部の特別任務を知る由もない。 「夕飯で麻取と同席するから、フロントで若女将を呼んでね。若女将にタバコ、預けとく。  伯父さんも知ってるように、若女将の妹はあたしに似てるから、間霜刑事もまちがわねえべ・・・。ウッ、ウッ、ウッ・・・」  真理の腰の少し上の背筋を揉むと、真理の口から、背筋を揉む力に合わせて声が出る。 「わかりました。何してるんですか?」  佐伯は真理の妙な声が気になった。 「ああ、サスケに腰を揉んでもらってるんださ。  川原で魚釣りしてハバナへ行って、麻取といっしょにいたら、腰も肩も凝っちまって、大変なんさ・・・。ウッ、ウッ、ウッ」 「アハハッ、生霊にやられましたね。お祓いしてください。  では、間霜刑事が二十時に風月荘のフロントに行きます。  間霜刑事の顔写真をスマホに送ります。  若女将に確認させてください」  通話が切れた。まもなく間霜刑事の画像が送られてきた。  真理はスマホをかけなおした。 「亮ちゃん、忙しい時にすまないね。例のタバコ、二十時に、間霜刑事がフロントに取りにくるんだ。直接渡したいから、今からこっちに来て、洋服と着物、交換しようか。ウッ、ウッ」 「二十時前後なら、あたしがフロントに居る。真理ちゃん、腰、揉んでもらってるんだね。  二晩も、あたしをサスケといっしょにしてくれたから、若女将の仕事で、腰、凝ったんでしょう。真理ちゃん、今夜は、サスケといっしょに、ご飯、食べなよ!」 「話、人に聞かれんぞ!」 「だいじょうぶ。今ガレージ。車の中。誰も居ないよ。買い物から帰ったばかりなの。  これからそっちへ、タバコを取りにゆくね。間霜刑事の画像あるよね。そっちへ行ったら見せてね」 「こっちに来てから、決めよう。待ってるね」  真理は通話を切った。  十分ほどで若女将の亮子が部屋に現れた。 「タバコはこれ。そいで、画像はこれ・・・」  真理は座卓に向って座り、座卓の刻みタバコの包みを示して、スマホの画像を見せた。 「もうすぐ六時だから、二時間以上、麻取を引き止めてね」  真理が隣に座った若女将の亮子に話している。夕食は六時からだ。  いつのまにか、真理が若女将を、若女将の亮子が真理を演じることになっている。 「いつ役割が決った?腰はいいのか?」  佐介は二人に訊いた。 「サスケに甘えたいんだ。あたしたち新婚だから。これが本音だよ」  亮子の頬が赤い。笑顔で真理が言う。 「いいさ、一人でも、二人で甘えてんだから。さあ、着換えるよ!」  二人は隣室の襖を開けた。  いったいどうなってる?二人が入れ代わっても、俺が相手するのは真理だ。そして若女将は亮子だ。身体的に二人を区別できない。そうであるのを二人とも認めてる。しかし、二人の意志疎通が今までと違う・・・。  午後八時。  風月荘の玄関の自動ドアが開いた。ジーンズにTシャツ、カジュアルなジャケットに身を包んだ中肉中背の男がドアを抜けてフロントに歩いてきた。男の服装はスポーツマン風だが、短く刈りこんだ髪とメタルフレームのメガネをかけた頭部は、スポーツマンというより、組織の中で機敏に動く一員、休暇中の軍人のような印象が強い。 「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」  若女将はカウンターの前に立った男に声をかけた。  男は周りを見た。二階の広間で夕食が続いているためロビーに客は居ない。カウンター内に居るのは若女将だけだ。  周囲を確認した男は、ジャケットの内ポケットから警察手帳を取りだして提示した。 「間霜です。若女将ですね?」  じっと食いいるような刑事独特の眼差しを若女将に向けている。 「はい・・・。伯父さん、どうしてるべ?」  若女将は間霜刑事を見てニタッと笑った。 「どうしてるべ、って・・・」  間霜刑事は、一瞬、警察手帳を内ポケットに戻す手を止めた。若女将の顔と聞えた声のギャップに躊躇した。すぐさま気を取り直して警察手帳をポケットに戻し、 「イヤアッ、みごとに化けましたなあ・・・」  メガネの奥から驚きの眼差しで若女将の顔を見ている。部下だけあって口調が佐伯警部に似ている。 「間霜だって休暇中の自衛官だべさ。似合ってるべ。  はい、これ・・・」  若女将は小さな紙袋をカウンターに置いた。 「中に、タバコの包みと空の封筒が一枚入ってるベ。サスケだけが触った封筒だ。サスケの指紋が付いてる。タバコの包みの鑑定の、参考指紋になるべさ」 「お気遣い、ありがとうございます。  では、これで」  間霜刑事は紙袋を内ポケットへ入れた。 「うん、頼むべ。間霜は夕飯まだだべ。これ、車の中で夕飯にしろさ」  若女将はカウンターの内から、おにぎりと御茶の容器が入った紙袋を取りだして渡した。 「鮭とタラコと昆布のおにぎりださ。小さいのがそれぞれ二個ずつ入ってる。運転しながら食えるべ。じゃあ、頼むぞ」  若女将は笑顔でそう言った。 「了解です。夕飯、助かります!」  おにぎりの紙袋を持つと、間霜刑事は敬礼しそうになった。その事に気づいて苦笑いし、ではまた、と会釈してその場から去って玄関を出ていった。  間霜刑事が現れて去るまで、二分ほどだった。
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