二 会議は踊る されど進まず

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二 会議は踊る されど進まず

 信州信濃通信新聞社は、長野市南長野幅下の長野県庁東通りを隔てた南県町にある。南側に二つ隣のビルは日報新聞長野支局だ。信州信濃通信新聞社のビルは日報新聞長野支局とくらべると貧弱だ。  信州信濃通信新聞社から車で十分ほどで市役所の第二庁舎に着いた。  エレベーターが市役所第二庁舎六階に止り、ドアが開いた。  真理はエレベーターを出て、南北に延びる通路を北へ、通路の左隅を歩いてゆく。佐介は真理の後ろから通路の真ん中を歩く。  真理は狭い所を好む。広い通路も隅を歩く。壁の際を歩くから、何かあれば肩が壁に触れ、もんどりうって転がってしまうと思うが、フラフラすることがあっても、チョロチョロと器用に歩いて壁に触れない。  午前十一時。  会議室の前でしばらく待った。時刻は午前十一時をまわっている。 『老齢者医療施設医療設備計画』定例委員会は午前十一時で休会になり、昼食を含む三時間の休憩後、午後二時から再開する。委員はいずれも老齢者が多いため、定例委員会終了後のインタビューは翌日に持ちこされるのが常だ。  真理はそれを承知で、昼の休憩時に定例委員会の動向を見極めようと考えている。  定例委員会を進行するのは、福祉政策課のカマボコ(福祉政策課課長・蒲田亨)だ。  一番のネックは、トリ(鳥羽医院の鳥羽和義院長)にイチャモンをつけているタヌキ(育善会総合病院の遠藤悟郎院長)だ。  と言うのも、議会が建設を決定した『老齢者医療施設』に施設内の医療設備を検討する『老齢者医療施設医療設備計画』定例委員会は、読んで字の如く『老齢者医療施設』の『医療設備計画』であって、育善会総合病院も含めて市内に五つある総合病院の増設計画ではない。議会決定した『老齢者医療施設建設』に、タヌキの遠藤院長がチョッカイを出して、タヌキの『泥舟』に委員会を乗せているのだ。 「自分の利益のため、決った計画を変えさせようとするなんてクソだな!」 「シッ。声がデカイよ。終ったみたいだ・・・」  佐介は真理に注意した。真理はフンッと鼻息荒く口を閉ざした。同時に会議室のドアが開いた。会議室から不機嫌な顔のカマボコの福祉政策課課長の蒲田亨が二人の部下を連れて出てきた。 「蒲田課長、ご苦労様です。今回の定例委員会はいかがでしたした?」  佐介は今日の天気を話すようにさりげなく質問した。 「いや、変らんね。計画が計画だからね。何かあれば計画自体が振り出しに戻るよ・・・」  蒲田課長は、遠藤悟郎院長の主張自体が『老齢者医療施設建設』潰しだと暗に示した。遠藤院長の魂胆はわかっている。オジャマムシのタヌキがいろいろ不平不満をごり押しして、『老齢者医療施設建設』をご破算にしてでも、総合病院に何らかの利権を得ようとしているのだ。 「目の上のタンコブは、いろいろジャマですね」  佐介は蒲田課長に話を合わせた。 「まあ、実態は後ろの方々に聞くといいよ。潰すも潰さないも、彼ら次第さ。  我々は計画の立案と実現後の管理側で、実働は医療関係者が主体だからね」  蒲田課長は右耳のそばに右手を上げた。右手の親指で背後を示している。 「わかりました。委員たちに訊いてみます」 「ああ、そうしてください」  蒲田課長は部下と共に、ソソクサとその場を去った。少しでも早く遠藤院長から遠ざかりたいらしい。  真理は遠藤院長に質問している。その背後から、委員たちに囲まれてトリ、鳥羽医院の鳥羽和義院長が歩いてくる。ほとんどの委員が鳥羽院長に協力的だ。これでは遠藤院長の主張は通りそうにないが、独断と偏見と毒舌の激しい遠藤院長に、委員たちが振りまわされているのは明かだ。  昼の休憩時まで遠藤院長の独断場では堪らない。今は口うるさい遠藤院長が真理のインタビューを受けているため、委員たちはほっとしている。 「遠藤院長の意見を聞かせてください」  真理の顔は一見エキゾチィックだ。笑顔でボイスレコーダーを遠藤院長に向けている。歳は食っても遠藤院長も男だ。真理の笑顔でペラペラ話しはじめた。  「そうですね・・・。 『老齢者医療施設』を一箇所に建設すると、施設から遠い人たちが増えます。  これが、市内に現在ある五つの総合病院に増設されれば、総合病院それぞれが市内に分散してますから利用者は楽です。  私は、それを主張するんだが、委員連中も役所も、私の意見など採り上げようとせんのだ・・・」  遠藤院長は蒲田課長の後ろ姿を睨みつけた。真理の存在など無視して怒りを露わにしている。  そもそも『老齢者医療施設医療設備計画』定例委員会は、市議会で建設決定した『老齢者医療施設』の内部設備に関して専門家の意見を聞く場だ。建設計画そのものを議論する場ではない。遠藤院長が建設計画の流れを変えて利益誘導を図る事自体がまちがっている。  真理はその事をわきまえている。あくまで中立を守り、遠藤院長の主張を意見として聞いているが、遠藤院長の意見に頷く真理の様子は、遠藤院長のシンパのようにも見える。  一方、佐介は遠藤院長の背後から歩いてくる鳥羽院長に、今回の定例委員会についてインタビューした。  鳥羽院長は、 「この定例委員会は、役所側が我々から意見聴取する場です。一度決定した計画ですから、変更されないでしょうね。仮に変更されるなら、議会承認が必要だから、難航しますよ」  と話して、疲れた表情で笑った。 「疲れているみたいですね?」  佐介は鳥羽院長の体調が気になった。 「医院の合間にここに来てるんです。開業医は地域に密着した医療機関ですからね。総合病院みたいに定時に始まって定時に終っていたら、助かる病人も助かりませんよ」  鳥羽院長は歩きながら足元に視線を移してさらに言う。 「最近は在宅医療が増えましてね。老齢者には慣れ親しんだ環境の方がいいんですよ。地域に密着した医療を行なうなら、在宅医療の考えがないと助かる病人も助からない。その分、私たちは忙しくなりますが、患者や家族を考えるとそうしない訳にゆかないですね」  鳥羽院長は前を歩く遠藤院長を目で示している。遠藤院長とは意見が対立しているのだ。 「その考えが、今回の『老齢者医療施設医療設備計画』に、盛り込まれるんですか?」 「そうです。デイケアと医療を行なう老齢者医療施設です。単なる病院じゃないんです。そうした老齢者医療施設を、市内五箇所の総合病院に増設するのは、財政的にも人材的にも無理でしょう。  その点、我々地元医院には後継者がいます。高額給料で都心からサラリーマン的な医師を呼び寄せるのとは訳が違いますよ。  患者の事や人材的な事、経済的な事など無視して、利益誘導だけなんだから、こまりますね・・・」  鳥羽院長は肩を落とすように話し、遠藤院長を目で示して溜息をついた。やはり、かなり疲れが溜っている。 「お疲れのところ、ありがとうございます。  原稿をまとめたら、また先生に見ていただきたいと思います」 『老齢者医療施設医療設備計画』シリーズで、月一回の特集を組んでいる。これまで、佐介は何度も鳥羽和義院長を訪ねて、原稿を修正してもらっている。遠藤院長はその事実を知らない。佐介が話していないのだから当然だ。  何かと上司風を吹かしている真理も、その辺は心得て一切他言しない。自己中的な所があっても、いたって律儀な真理だ。 「ああ、かまいません。ぜひ、おいでください」  鳥羽院長は快く言って微笑んでいる。佐介はどことなくいつもの鳥羽院長ではない気がした。  鳥羽院長の顔を見るのは、多くて一ヶ月に二度。この定例委員会と原稿の修正時だけだ。日頃の鳥羽院長を見ているのではないから、確実な事は言えないが、佐介の何かが、鳥羽院長の異変を警告している。いつもの鳥羽院長ではない事を鳥羽院長に尋ねても、鳥羽院長は医師だ。釈迦に説法。聞き入れるはずもない・・・。 「ありがとうございます。原稿ができたら連絡します。ゆっくり休憩して、午後の委員会に備えてください」  佐介は鳥羽院長との話を切りあげた。 「ありがとう。午後も戦場ですよ。ハッハッハ」  鳥羽院長は遠藤院長の後ろ姿を目で示した。  佐介は頷いて鳥羽院長に礼を言い、足早に真理を追った。
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