一章   玉姫の森

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 これ程の奥山にも関わらず、東京浅草の駅から乗り換え無しで真っ直ぐに来られる。時間こそかかるが面倒なことは何も無かった。そして今回はいとこの遼一を連れて来た。遼一は父親の妹の子供だ。去年の夏休みに光一が家族で来たとき遼一も一緒について来て、この村が大層気に入ったらしい。   遼一は小学五年生になった。電車の中でも、村が近づくに連れ深い緑の谷に潜り込んでいくような車窓の風景に、目を輝かしていた。そんなところなど光一とよく似ていた。東京を発つ前から、夏休みの自由研究に昆虫採集をするのだと張り切っていた。東京にいたのでは到底できない事だろう。捕った虫を飾るための平べったい箱とか、虫ピンや注射器の入っている昆虫採集セットなども、ぬかりなく準備していたものだ。   そして村に到着したその日の晩に、早速獲物が向こうから飛び込んできた。蛍光灯の明かりに誘われたのだろう、夕食の時に立派な角を持ったオスのカブト虫が一匹、網戸にへばりついた。 「おぉー すげぇ、おにいちゃん凄いよぉ、カブト虫が向こうからやって来たよ。やっぱりこの村は思った通りだよ。来て良かった」   遼一は網戸にカブト虫の羽音を聞いたとたん、茶碗も箸も放り出して、言いながら走り寄っていた。   この家には光一の祖父母が二人だけで住んでいる。村に三軒だけ残っている茅葺き屋根の家のひとつだ。広い居間の真ん中には大きな囲炉裏が切ってあり、床は黒光りのする板張りになっている。柱も梁はりも、まるでお寺の造りのようにとても太く、それらもみんな黒く光っていた。小さな頃からこの家を見慣れている光一は、たっぷりの緑の中に建つこの博物館みたいな家に来るたびに、いかにも田舎に来たという気分になる。   部屋と部屋との境には、襖(ふすま)ではなく板戸がはめられていた。あちこちくすんではいるが、黒漆が塗られたとても重厚な感じのする板戸だった。子供の頃には重くてうまく開けられなかったものだ。太い梁の下に奉られている神棚も立派な造りで、たぶんこの家が建てられたときに一緒に造られたものなのだろう。見るからに精巧な造作が、そこに小さな神社があるように見える。 
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