一章   玉姫の森

8/34
前へ
/139ページ
次へ
 そんなことができるのも、蝉が豊富にいることと、木の高いところばかりではなく、ほんの低い処にも沢山止まっているからだ。太い松の木や桜の木の下から上まで、行列を作って止まっていた。ミンミン蝉やアブラ蝉、ツクツクボウシにニイニイ蝉。たまに逃げられたとしても他の木にいくらでもいるし、暫くして戻ってくると、さっきと同じ木にまた何匹も止まっている。それに光一は百八十センチの長身だ。木の下から上まで、なかなか守備範囲が広い。 「凄いよ、おにいちゃん。流石は蝉捕り名人だね。そんなに手づかみで捕れるなんて神業だよ」   遼一も何度も挑戦していたが、手を出すスピードがちょっと遅いらしく、一匹も捕まえられないでいた。既すんでの所で逃げられてしまうのだ。何匹もの蝉の入った虫かごを抱きながら、尊敬の眼差しで光一を見ていた。  いいな、玉姫神社には決して一人で行っちゃぁなんねぇぞ。  光一は小学生の頃、この村に来ると必ず祖父にそう言われていた。その辺で一人で遊んでいると、祖父は光一の顔を見かけるたびに、口癖のように同じ事を繰り返していたものだ。   その昔、各地で国取り合戦があった。小競り合い大競り合いが続いていた足利幕府の頃というから、それは随分昔の話しだ。この地に篠田源之譲為次(しのだげんのじょうためつぐ)という武将があり、現在玉姫神社のある場所に山城を構えていた。   時代は下克上始まりの頃。世情は荒れ、近在の土豪達の間においても争そい事が絶えなかった。当時のこの里は今よりも更に山深くあり、到底ここまでは攻め来る者も無いと思われていたので、為次はもっぱら出戦に明け暮れていた。ところが油断大敵。ある時、城を空にしていた隙に敵軍に急襲された。敵軍と言っても決まった敵などはいない。自分がそうであるように、攻め来る者は全てが敵だ。そんな時代だった。   城に残してきた女子供の殆どは殺され、或いは奪われ、焼け落ちた城跡に戻ってきた男達は、そのあまりの無残と空しさに生きる気力を無くしてしまった。それは城主為次の場合も例外ではなく、室の楓(かえで)と嫡男(ちゃくなん)亀丸(かめまる)、そして長女玉姫(たまひめ)の悉(ことごとく)を失ってしまった。亀丸は斬り殺され、敵の手に落ちることを潔(いさぎよ)しとしなかった玉姫は、城の裏手にある崖から身を投じた。 
/139ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加