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◇
4月の終わり頃、連休に入る少し前位の夕方だった。
その日は朝から雨が沢山降っていて、高校から足早に帰宅していて通った川沿いの遊歩道。
本当に偶然だった。
傘もささずに、ベンチに座ってジッと川を見つめてる同じ高校の制服を着た男の子。髪は濡れ、その端々からぽたん、ぽたんと雫が落ちる。濡れた重みで垂れ下がって、目元が隠れているせいなのか、俯いているせいなのか、表情はわからなかったけれど、スッと通った鼻筋と小ぶりの唇。その横顔ですぐに誰だか分かった。
同じ2年の、佐倉…凪君。
思わず足が止まって、鼓動が強く早く駆け巡る。
あっちは私の事なんて知らない。
ただ、一方的に私が知っているだけ。
佐倉君は、可愛くて、なつっこくて、カッコ良くて、学校でも、五本の指に入る“目立つ人”だ。だから私も知っていた。
片や私は、大した存在感も無く、うさぎが好きで1日の大半を飼育小屋付近で過ごす、“目立たない人”で、普通に生活してたら、まず交わらない二人。
だから、素知らぬ顔で後ろを通り過ぎれば今まで通り、私が佐倉君を一方的に知っている関係は続く。私は、それで良いと思っている。交わった所で…共通の会話なんて皆無な気がするし。
そう…思っているのに。足は彼に真っすぐ動いてて、傘を無言で差し出してた。
私の気配に怪訝そうに顔を上げた佐倉君は鼻で笑って眉を下げた。
「…今更さしたって、意味ないってさ…見りゃわかんでしょ?」
冷たく放たれた言葉と突き放す様な表情に一瞬たじろいだけれど、唇をキュッと噛み締めて鞄から取り出したスポーツタオル。それを彼の頭にかけて傘を無理矢理手に持たせた。
「や、だからさ、こういうの迷惑だって…「雨は!」
「は…?」
「雨はあなたを濡らす為に降ってるわけじゃありません!自惚れないで!」
少し幼顔の彼の可愛い二重の目が見開いて、傘を押し返そうとした手が止まる。
「…傘も、タオルも返さなくて結構ですので。」
その隙に一目散に走ってその場を立ち去った。
…自分でも何それ、って思う言葉を吐いて、傘を押し付けるとか。我ながら大胆な事をしたって思うけど。
泣きそうだったから、佐倉君。
ううん、泣いていたのかもしれない。
彼に降り注いで、雫に変化した雨が全部…彼の涙に見えた。
普段、学校では笑顔しか見た事の無い佐倉君が果てしなく儚く見えた。
振り返る事も無く無我夢中で走った家路。
ドキン、ドキン…って強く打つ鼓動は、全速力で走って、息切れしてるから?
それとも佐倉君と話したから?
……家に帰ってから気が付いた。
私、びしょ濡れじゃん。
◇
「…38℃。あの雨の中、傘をうさぎ小屋に忘れて来るなんてまったく…。」
本当にごめんなさい、お母さん…
昨日、ずぶ濡れで帰って来た私は、慣れない事をした疲労感からか熱が出た。
当然、一夜明けた今日は学校はお休みなわけで。
「お母さん仕事お休みしようかな…今日出勤なんだけど…。リモートに変更してもらおうかしら。」
「大丈夫だよ、寝てるから。」
心配そうに出掛けていく背中に何とか笑顔を作ってベットの中から見送った朝。
今日は嘘みたいに晴れてるな。
窓から少しだけ入って来る風が心地良い。
ウトウトしていたら、聞こえて来た、どこかの小学校の鐘の音
もう放課後か…結構眠ってたな…。
放課後…
放…?
ああっ!しまった!
思わず勢い良く起き上がったら、クラリと目眩がして再び枕に頭を沈めた。
ど、どうしよう…うさぎ…
私、今週一週間放課後の飼育係なのに。
と、とにかくうさぎ仲間のゆっきーに連絡しなきゃ。
急いでスマホでメッセージを送る。
『えっ!休んでたの?!連絡してよ!』
『ごめん』
『朝は俺の当番だったからやったけど…。そういや、昼休み見かけないって思ったら…そっか、そっか。熱ね。』
『放課後のうさぎの世話出来る?』
『ごめん、バイトにもう向かっちゃっててさ。どうする?先生に連絡する?』
そっか、バイト…
ゆっきーは、ボランティアで定期的に学校のうさぎの体調を確認するため巡回してくれている風岡さんが経営しているペットショップでバイトをしている。
「之斗(ゆきと)がいると、動物達が喜ぶんだよね。」
以前、巡回に来てくれた時にお会いし、その後、ペットショップに顔を出した時に、店長さんがそう言って柔らかく笑っていた。
…なので、沢山の動物がゆっきーを待ってるわけで。引き返す訳にはいかないよね。
『じゃあバイト帰り寄るよ!当直のお兄さん、優しいから事情を話したら校舎の中に入れてくれると思うし!』
閉店、夜の九時だった気がする。
それじゃあ、うさぎ達が可哀想…
そもそもその時間に学生が学校に入るとか…当直の人にも迷惑かけちゃう。
先生に連絡…して良いのかな。よくわからないなあ…そこのところ。そもそも先生自体がそこまで得意ではないし…。
『大丈夫、何とかするから。バイト頑張ってね!』
…と、言ってみたものの、ゆっきー以外のうさぎ当番の人について知らない上に、さほど友達と呼べる人もいない私にとって、他に代わって貰えそうな人も思いつかず。
ゆっきーに最後のメッセージを送った後、ふらつく身体を何とか前に押し進めて袖を通した制服。
「行ってきます…。」
誰もいない家にそう呟いて玄関を閉めた。
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