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しばらく俺たちの間に沈黙が流れた。
その沈黙を破って口を開いたのはやはりウッチーの方だった。
「……こないださ。うちの近所で、おまえんちのおばさん見た」
「……へぇ」
「……どっかのおじさんと一緒だった」
「……そっか」
「もし、さ。おばさんが再婚とかしたらさ、おまえ、もう我慢しなくてもいいんじゃねーの?」
俺は少なからず驚いた。
母親がどこかの男性と会っていた、という部分ではない。
母さんに付き合っているらしい男がいることには、うすうす感づいていた。体は子供でも中身は大人なのだ。……どっかの名探偵のパクリではない。
まぁ名探偵じゃなくともそれなりに察することができる。大人ですから。大事なことなので二度言いました。
俺が驚いたのはそこじゃなくて…、
「おまえ、イイ奴だなぁ、ウッチー」
「な、なんだよ! 突然!」
しみじみと言った俺にウッチーは赤くなった。見慣れた幼馴染の顔が俄然可愛く見えてくる。あぁこねくりまわしたい。昔、弟子にやって嫌がられたけど、俺の最大級の愛情表現なのだ。
無意識に両手をわきわきさせてにじり寄ると、勘のいいウッチーはさっと足を速めて前の走者を軒並み抜いて行ってしまった。ちっ、逃したか。
(ウッチー、気持ちはうれしーけど。俺は別に我慢なんかしてねーんだよ)
本当に、本心で、俺は今世を普通に生きていきたいんだ。
――でも。
「せんせー! 魔王くんが行き倒れてまーす!」
「………………」
俺のささやかな願いの前には、どうやら暗雲がたちこめているようだ。俺の目指す場所への道のりは、平坦とはいえなさそうである。
嫌々振り返ると、最後尾からさらに数メートル後方で、華奢な体が地面に突っ伏していた。
さしあたって俺の求める平凡人生において、奴が最大の障害として立ちはだかっているのはまず間違いなかった。
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