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少なくとも彼は、ぼくが男爵夫人の新しい“可愛い人”でないことだけは理解してくれたようだ。
「すみません、ちょっと用事があるので、ぼくはこれで失礼します。研究の成果はまた今度、ゆっくり聞かせてください」
「あらまあ、失礼よ、ジュリアン」
男爵夫人は一応息子を咎めたが、それ以上無理に引き留めようとはしなかった。さすがに息子の見ている前で、若い男にしなだれかかる気にはなれないのだろう。
「ぼくは興味があるな。ぜひ詳しい話を聞かせてほしいよ」
そう言って、エドガー・シンクレアはソファーにゆったりと腰をおろした。いかにも育ちの良さが感じられる身のこなしだ。
「マダム。ぼくにもお茶をください」
「はいはい。今すぐ」
エドガーは姉さんに向かって言ったのに、はしゃいで返事をしてポットを手に取ったのは、なぜか男爵夫人だった。出しゃばりもここまで来ると、もはや滑稽だ。
「はいどうぞ、エドガー。うっふふふふっ」
「ありがとう、マリオン――あ、いや、レディ・ミドルトン」
エドガーはどうやらジュリアンの友人であるだけでなく、男爵夫人の“友人”でもあるらしい。ふーん、夫人は金髪碧眼だけでなく、黒髪の男もイケるのか。
このことをジュリアンは知っているんだろうか。
ぼくとエドガーと、ふたりの魅力的な若者を前に、男爵夫人は終始ご機嫌だった。控えめに目を伏せ、沈黙を守る家政婦の存在は、完全に頭から追い出したらしい。
夫人は初々しいデビュタントのようにハンカチで口元を隠してくすくす笑い、上目遣いにぼくたちを見上げる。それに対しエドガーが見え透いたお世辞を言うと、きゃーっと窓ガラスも割れそうな歓声をあげた。
「おいしいお茶をごちそうさまでした、レディ・ミドルトン。本当に楽しいひとときでした」
礼儀正しく挨拶をして応接間を出た時には、ぼくは男爵夫人の鶏のようにけたたましい声のせいで耳の奥がおかしくなりかけていた。
いくら居候させてもらうためとはいえ、この拷問のような笑い声に毎日耐えて、おべんちゃらが言えるエドガーは偉い、とまで思ったね。
「またいらしてくださいませね、ミスター・メリウェザー」
「はい。今度は男爵閣下にもお見舞いのご挨拶をさせていただければ、光栄です」
「あ、あら、それは……。うちの人は、そういうのが嫌いで……」
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