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「なあ、この前貰った日本酒どこにある?」
「棚開けたとこの左」
「ん」
葉子の複雑に絡まり合い、
ほどけない心の内側など知る由も無い京さんは、
吉田拓郎の歌なんて鼻歌しながら日本酒を探している。
年不相応のだらしなさと、年相応の肝臓を持つ彼との出会いは、八年前の出版社だった。
京さんは、春川京太郎という名の知れた推理小説家。
葉子は週刊マンガ誌の編集者。
京さんの作品をコミカライズすることになり顔を合わせた。
第一印象は、ダメな大人。
トリックを最後の一ページまで見破る事が出来ない、
何層にも重ねられた物語とは正反対に、
酒の匂いを漂わせ、約束の時間よりも遅れてやってきたからだ。
作品は良い意味で期待を裏切るのに、作者は悪い意味で期待を裏切った。
仕事上でしか付き合わない、仕事でも付き合いたくない人種だと思った…のにこうして恋仲になってしまった。
そのきっかけは、酒が抜けた時にする、過去の話。
蒸発した母親の話だとか、暴力をふるった父親の話だとか。
はじめは女の同情を誘う為の甘い嘘だろうなと思った。
でも彼の担当編集によると、その話は全て事実らしい。
「あんな、俺な、書くしか能が無いねん。
小さい時からな文章だけは褒められてたんよ。
作文だけは親から褒められたからこうして書くんや」
虚勢張った、いい加減の中に垣間見える弱さ、脆さ、そしてこに惹かれてしまった。
だから女という生き物は駄目だと自分で思う。
けれど彼の時折する子犬みたいな寂しげな顔。
良い年をした男だというのに潤んだ瞳に映るのは自分が良いと思ってしまった。
大柄で煙草臭い体を抱きとめるのは私だけがよいと思ってしまった。
だから
はぐらかされぬ様に刺すみたいに好きだと言って、
飛びつく様に抱き締めて、
二人の間にある関係が「仕事上の人」から「恋人」になったは良いけれど、
それ以上は進まない。
もどかしさが許容量を超えた。
葉子はとんっと溶けていた体を跳ねあげて、
京さんが飲んでいた日本酒が入った御猪口をひょいと奪って美味しそうに喉を鳴らして飲んでみせた。
本当は日本酒はあんまり得意じゃないんだけれど。
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