第1章1「預言を預言する預言」

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 神の足跡が息衝く奇蹟の大地、それを人々はシシリアと言った。  紀元前八世紀頃からギリシャ人が入植し始めたこのシシリアは古いギリシャ語では『シケリア』と呼ばれる。  古代、ギリシャ人植民開始から半世紀もせず、シケリア最大の植民市、シュラクサイ(現シラクサ)を始めとし、ゲラ、アクラガス、セリヌス、ヒメラ、メッシーナ、レオンティノイなどの植民都市が建設されてきた。  シケリアの発展は急速に進んだ。  そうなっていくにつれ、いよいよシケリアは古代ギリシャの大事な属州となり、今や東ローマ帝国属州における要所となる。歴史を重ね、戦争を経て、シケリアはいつからか、人々から『シシリア』と呼ばれるようになっていた。  紀元前二一〇年、ローマの執政官マルクス・ウァレリウス・ラエウェヌスが、元老院に向かって述べた『一人のカルタゴ人もシシリア島では生かしてはならぬ』という言葉の通り、シチリア島のカルタゴ寄りの者が多く殺された。  血に濡れた歴史、カルタゴの支配にあっていたシシリアの奪還、属州化、………かのシキリア属州………はこうして盤石なものとなる。  豊かなシシリアはいつでも国家間の土地争奪戦の中心にあった。  このあと六世紀もの間、シチリア島はローマ帝国の属州になる。  僻地の田舎のような扱われ方だったが、シチリア島の農作物はローマ市にとって重要な食料供給源でもあった。シシリアの人々がどんな戦争の傷跡からも立ち上がれたのはその恵みの加護があってこそだ。  しかし肥沃な大地がシシリアへと戦渦を招いたのであるから、皮肉な話かもしれない。  豊饒が戦を生み、その戦の傷を豊饒がまた癒す。  いつ誰の手に渡るか。息を潜め略奪の機を待つ、各国の思惑のもとにあったシシリアは、地方自治の甘さからか………前述のように属州としては希有な立ち位置からか………強硬にローマ化はなされなかった。シシリアはそこだけが『古代ギリシャ時代』の色彩を色濃く残していた。  あたかも、時を止めたように。  この後、永らく戦火の傷跡を負い続けるであろう、シシリア半島の運命のように。
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