チェンジ!

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三月に入ったとはいえ、春とは言えない 寒い日が続いている。 まだまだマフラーや手袋が手放せず、今朝も お気に入りのスヌードに半ば顔を埋める ようにして、幸は会社までの道のりを 歩いていた。 あと2、3メートルで交差点という所で、 目前の信号が点滅を始める。 それを見て、幸は足を早めるか迷った。 「どうしよう……」 ぎりぎり間に合うかもしれない。 でも、今渡り始めたら、きっと向こう側に 付かないうちに信号は赤になるだろう。 「あ~あ、変わっちゃった……」 無理はせずに立ち止まったけれど、 できれば渡ってしまいたかった。 この信号は歩行者側の待ち時間がやけに長くて、 いつもイライラしてしまうから。 遅刻しそうな時は尚更に。 もっとも今朝は、たっぷりと時間の余裕が あるけれど。 長い信号を待つうちに、背後はちょっとした 集団になってきた。 やっと信号が変わり、横断歩道に足を 踏み出しかけた時、 「おはよう」 幸の耳に、低い声が聞こえた。 「……」 気付かないフリをして、幸はそのまま 歩き続ける。 「さーち。おはよう」 横から顔を覗き込むように、しかもご丁寧に 名前付きで挨拶されては、さすがの彼女も 無視するわけにはいかない。 「おはようございます……」 仕方なく不愛想な挨拶を返すと、その男、 加納大智は、ニッコリと嬉しそうに顔を 綻ばせた。 それを見た自分の心臓の鼓動が、数回大きく 高鳴ったのは、気のせいだと決めつけた。 この男はまた、朝から無駄に心惑わす 笑みを振り撒いて。 努めて平静を保つ幸の目に、周囲で彼を チラチラと横目で見ていた女性達が、 ほんのり頬を染めているのが見えた。 私なんかじゃ無く、あの人達に挨拶すれば いいのに。 そうすれば、彼女達は大喜びで、愛想の良い 挨拶を返すはず。 内心そう思いながら、先を急ぐ。 「待ってよ、幸。一緒に行こう」 長い脚で簡単に追いついた加納が、 再び幸を覗き込んだ。 「いいです。一人で行きますから」 「もう、恥ずかしがり屋だな。 大丈夫だよ、バレても僕が君を守るから」 「恥ずかしがってなんかいません。 誰がそんな事言って……」 全くこの男…… 会う度、人の心情を勝手に妄想して、 一人で納得する困り者。
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