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『ねぇ、柊?お願いがあるんだけどさぁ…』
それはちょうど一年前の今頃だった。
『俺が死んだら、この木の下に埋めて欲しいんだ』────…
洋一は冗談みたいに笑いながら、柊にそう言った。
彼等の頭上で咲く満開の桜は、時折淡い色の花びらをチラチラと降らせ
たくさんの花芽を付けた枝の隙間からは
今日と同じように、雲一つないコバルトブルーの空が見えた。
.
「織田さん?」
「ん?なぁに?」
緩やかな登り坂を 車椅子を押しながら歩く。
車椅子に座って、ぼんやりと空を見上げる織田洋一の背中に、久保田柊は優しく問いかける。
「寒くない?」
「大丈夫、今日はあったかいよ」
「うん…」
「もうすっかり春だね?」
「うん…」
「はぁ、気持ちい…」
ストールを外した洋一の首筋、筋肉の落ちた肩。
柊より長身の彼は元から華奢な体つきをしていたが
空へ向かって思い切り伸ばした腕を見て、また痩せたなぁ、と思う。
「喉は乾いてない?」
「うん、大丈夫…ありがとう」
丈の低い草を揺らす風は、優しく甘い香りがする。
冬を越えて生まれ変わった大地は、雪解けの水を湛え脈々と蠢いている。
彼等にも平等に、春が来たのだ。
「久保田くんて本当に優しいね?こんなに優しい介護士さんにお世話してもらえて、俺って本当に幸せ者だよね?」
「ハハハッ!そう?なら良かったですよ…」
“介護士さん”
そう呼ばれて柊は、もう諦めよう、と思う。
「はぁ…はぁ…、もう少し…」
「大丈夫?ごめんなさい、重たいでしょ?手伝いたいけど、腕に力が入らなくて…」
「気にしなくていいんですよ、そんな事…」
息を切らしながら、細い手首で車椅子を押す柊を見て
心配そうに振り返った洋一に笑いかけると、彼は申し訳なさそうに、だけど屈託のない笑顔を柊に向けた。
こんな風に、穏やかな日が訪れるなんて、柊は思ってもみなかった。
彼等はいつも戦っていた。
二人で静かに暮らす事を夢見て、解く事の出来ないしがらみに縛られながら、自由を求め必死に戦っていた。
だから柊はこれでいいと思っていた。
二人が想い描いていたカタチとは少し違ったけど、望み通りになったのだからこれでいい、と…
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