第一章ー春、自称“犬”ー

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  犯人はぐーすか眠っているであろうあの子しかいない。バスタオルを使った形跡がないのがみそであり、水浴びをした犬がどうするかを考えれば自ずと答えは導き出せる。 ふりふりするのだ、ふりふり。 水を遠心力を使い、体毛から弾き飛ばす。あの長く艶やかな髪からこれほどの水を吸水していたことに驚きつつ浮いたバスタオルであっちこっちをふきふき。 人の型に収まっていても犬は犬、あれこれと調教的な意味でなく、イヤらしい意味でもなく人としての躾を行う必要がある事実にドッと疲れながらもお風呂で疲労を流し、同じく寝巻きを兼ねるジャージを着て部屋へ戻る。そして思う。 「何処で寝るんだ、これ」 恥ずかしい話ながら僕は友達が少ない。 会話をする程度、高校の帰りに遊びに行く程度の友達は何人かいても家に、それも頻繁に泊まりに来るような野郎も彼女もいないてなもんで予備の敷布団なんて便利アイテムは押し入れに眠っていない。 しゃーないか、雑魚寝でもしよう。 小さい頃、ガラスが嵌め込まれた引き戸の近くで眠っていて寝返りついでにその一部を破壊した、なんて自慢にもならない逸話を持つ僕は万が一に備えローテーブルを壁際に追いやって部屋の中央に横たわった。 横たわる前に見た少女の安らかな寝顔が閉じた瞼の奥に浮かぶ。決して劣情を抱いた訳ではない、どこかで知り合った娘かをまた思い出していて。降りた ての新雪より白くキメ細やかな素肌、愛らしく僕的に堪らない寝ぼけ眼とジト眼が混在した瞳、綺麗な鼻梁に、ボリューミーで潤いのある紅い唇。そしてなにより印象的な常人には有り得ない真っ白な髪。 これほどインパクトのある彼女を忘れるか。 忘れないだろう、何処かで出会っていたなら尚更だ。知らない、知らないと脳が思考を妨げる。なら、どうして彼女は僕の名を教えてもいないのに呼んだのか。そればかりが脳内を錯綜し、寝付いたのは天辺を廻った頃だった。
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