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ランチは家の近くのイタリアンにした。
店主とは顔なじみだ。
今日はスーツなのね、という店主に軽く頭を下げると、いつものカウンターの端の席に案内された。
カウンターの椅子は少し高く足は届かない。
プールから上がるように座るのも上手くなった。
席に座ってすぐ彼がミートソース、私が和風スパゲティを注文する。
店内には無言のいつも通りの時間があった。
孝之は私の左側の席でいつものようにスマホをいじっている。
それを横目で見て、私もスマホを取り出した。
そうしながら、彼にどう切り出すか探っている。
孝之が留年するから、というのはきっかけではあったが、それだけが理由ではないようにも思えた。
もう好きじゃなくなったから、という言葉も浮かんだが、これも違った。
研修で仲良くなった男の人はいるが、かといってその人を好きになったわけではない。
こうしていると、そもそもなぜ別れたいのかさえ分からなくなる。
裕美と話した時の、あの決意はどこに行ってしまったのだろう。
しばらくして注文した料理が運ばれてきた。
匂いも味も茹で加減も、何もかもがいつも通りで、孝之のとなりにいることが心地よくて、今からそれを自分が壊そうとしていることに、何より自分が信じられなかった。
「亜美、どうした、大丈夫?」
彼に言われて、自分が泣いていることに気が付いた。
彼が優しいことは、誰よりも私が知っている。
今だって本気で私を心配しているのが分かる。
実は傷つきやすい事も、言えば私の意見を尊重してくれることも。
すべて分かっていながら、別れてほしい、とだけ告げた。
理由や言い訳は、何も出てこなかった。
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