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閉めきっていたはずなのに、開かれた窓。
散らかっていたはずなのに、整然と片付けられたリビング。
小さな変化は、誰かがこの部屋に来たことを示していた。
僕の家の合鍵を持つ、唯一の人が。
だけど、この部屋で動くものは微かな音を立てて風に揺れるカーテンだけで、その人はもういない。
現実から逃げるように別の答えを探して視線をさ迷わせた後、僕はテーブルに残された或るものを茫然と見つめた。
朝、飲みかけのコーヒーを置いていったはずのテーブルは綺麗に拭かれ、マグの代わりに小さな箱が二つ、きちんと並べられていた。
“ブルガリがお好きなんですか?”
“いいえ!好きだなんて、一つも持ってないです!畏れ多くて”
無理矢理に彼女を店に押し込んだあの日が昨日のことのように思い出された。
指輪を受け取った時、口下手な彼女は吃りながら白い頬を染め、この小箱が入った袋を大切そうに抱えて俯いていた。
そんな彼女とのささやかな日々が、握りしめる指の間からこぼれ落ちる砂のように過去になっていく。
これは、彼女が僕に残したメッセージなのだろうか。
さようなら、と。
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