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結城総司side
「待たせたなあ」
アイスコーヒーのカップをテーブルに置きながら、悠々とホットコーヒーを啜る見慣れた黄色い頭に声をかける。
今日は珍しく喫茶店での落ち合い。しかも俺と会うことは綾瀬にも伝えてあるというから驚きだ。人と会う時間の隙間を縫って俺の部屋にこっそり足を運んでいた以前の永礼からは想像もつかない変化。
俺が向かいの席に座れば、奇異の視線が注がれた。理由は明白。
――永礼という男は、良くも悪くも人目を引くのだ。
西洋風の髪色と肌色。それでいて日本人の顔立ち。綾瀬が中性的な魅力をもつ一方で、こちらは顔だけ見ればいっそ女性的ですらある。
スプリングコートの下の引き締まった肉体を知る者は少ないにせよ、百八十を優に越える身長とその半分以上を占める長い脚、大きな手が顔を裏切ってひどく男性的で、大抵の女はそのギャップに惹かれる。本当に――。
本当に、幼児じみた振る舞いさえなければ、充分魅力的な男なのだ。
一人でいるときにあの妙な振る舞いを取ることはないから、ここにいる女性客は、彼が待つほどの素晴らしい女性はどんな人かと、さぞ待ちわびていたことだろう。
悪かったな俺で、と視線の主に文句を溢したくなるのを懸命に堪える。
「それで、何の用や?」
永礼はゆっくりと脚を組み替える。
「用はないよ。強いて言うなら会うこと自体が用」
謎かけみたいな言葉の意味を問い返してもきっと答えない。
だからと言ってじゃあさようならというのも違う気がして、特に気になっていないことを代わりに問う。
「順調なんか?」
まあ順調やろうな、その様子やと。
「そうだね、今のところは。無事にできたし」
平然と答える様はやはり永礼だ。何ができたって、そんなの言われなくともわかる。それを聞いて、今度は先日の話以来気になっていたことを訊いた。
「なあ、お前ら元々仲良かったし、そこで一緒の家に住んで、関係も持ったわけやろ?」
永礼は首肯する。
「まあ、何度か。男に抱かれる抵抗もあったみたいだけど、それもはじめの一回だけだし」
「それやったら恋人でハッピーエンドちゃうんか」
俺が言うと、永礼は笑い出した。狂ったような高笑いではなく、人目を気にしたくすくす笑い。
「体が最後なんて少女漫画みたいな話、君から聞くとは思わなかったよ」
お前少女漫画読んだことあんのか?脇道に逸れるから今は訊かないが。
「綾瀬がどうして頻繁に彼女を替えるかわかるか?」
答えを求められていないとわかるので黙っておく。永礼のよくやる、自問自答というやつだ。
「綾瀬は基本的に来る者拒まず。そのとき付き合っている相手がいなければ、どんな人だろうとオーケーする。自分から別れを切り出すのは、著しく数学の妨害を受ける場合のみ。つまり――」
まあ、女をセックス相手としか見ていなければ来る者拒まずにもなるだろうな。察しはつく。
「綾瀬の恋人の変わり目は、綾瀬がフラれたタイミングだ。じゃあ何故そこまでフラれるか」
堂々とした態度だが、声のボリュームは数段落ちている。当然だ。大声でできる話ではない。
なぜ綾瀬の恋人がそこまでコロコロ変わるのか。それは俺も疑問だった。
「綾瀬は、付き合っている相手を、相手が自分を愛しているように、自分も愛していると錯覚する。実際に愛してなんていないのに」
実際には愛していないのに、愛していると錯覚する…?
「彼女たちは自分に対する愛がないことを直感的に悟って離れていく。もっとも、綾瀬自身は自分の外見と中身のギャップが原因で彼女たちが離れていくと考えているようだけど」
一見無害な笑みを浮かべる。逆にいえば長く続いたあの彼女は最も鈍くもあったわけだ、と笑う。
鈍かった、のだろうか。俺には、「気づきたくなくて見ないふりをした」ように思えるけどな。
「女から絶大な人気を誇る綾瀬」の「彼女」という立ち位置。プライドの高い女としては、絶好の立場だろう。
まあ、そんな女の心理はどうでもいい。
「僕がしなければならないことは、綾瀬が本当は僕に惚れてなんかいないことに気づかせて、その上で僕に惚れさせることだ。そうでないと、いつか彼が離れていってしまうかもしれないからね」
柔和な笑みは、話の内容にはそぐわない、人前用の好青年の顔。こいつは、感情を表へ出す連絡路が破断している。
「体はゼロ距離、心は無限遠、ってね」
「…お前が基準の無限遠点?」
「そうそう」
初めて遊園地に来た子どもみたいに無邪気に笑う永礼を見つめる。
「お前は基準点っていうより、ブラックホールやで」
――惹き付けて、離さない。まるで吸い込むように。
永礼は目をしばたかせた後、にっこりと、ゆっくりとはにかんだ。
「本当に――」
遠い眼差し。
「残酷なのはどっちだろうね」
その呟きは、悲鳴に近かった。
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