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早見杏里side
「おはよーございまーす」
明るい挨拶が飛び込んできて周りが慌ただしく動き出す。
「杏里ちゃんおはよー」
「なっちゃんおはよー」
にこやかに挨拶すれば、女子か!とか、学生か!とどこかからツッコミが入ってくる。私は女子ですーと心の中で舌を出す。女子、と名乗って良い年齢かは微妙だけれど。
「永礼、ちょっと来い」
早速課長に呼ばれたなっちゃんを横目に作業を再開する。
仕事の早いなっちゃんのパートナーをするのは結構大変で、勤務時間いっぱいいっぱい仕事をしないといけない。冷静に考えれば勤務時間に仕事をするのは当たり前だった。てへ。
――やっぱり可愛い系が似合うキャラではないなー。てへ、は言わないでおこう。自重する。
「杏里ちゃん」
内省していると、いつもの楽しそうな声で呼ばれた。なっちゃんは本当にいつも笑っていて、楽しそうで、目を凝らせば周りに飛んでいる花が見えそうだ。
高校生の頃、「何がそんなに楽しいの?」と訊いて「生きていること!」と満面の笑みで答えられたときには驚いた。「じゃあ文字通り人生エンジョイしてるんだね」と言って大笑いされたことも覚えている。
その彼とまさか同じ職場で働くことになるなんて、本当に人生何があるかわからない。
「昨日言ってた資料、やっぱり先方にあるみたいだから、今日貰ってくるねー」
真面目な内容でも話し方がユルいから、遊んでいるように聞こえる。ただなっちゃんが営業部のエースなのは数字が語る紛れもない事実で、部署の全員が認めている彼の実力でもある。
「ありがとう。じゃあお願いね」
「はーい、願われましたー」
妙な日本語を返して、なっちゃんはキーボードを叩き始めた。ブラインドタッチだ。私もできるけど。
「すみません遅れましたー!!」
なっちゃんとは別の意味で騒がしい人が入ってくる。今年の春からの新人で、和田晃佑くん。なっちゃんが教育係のはずなのに、妙に私に馴れ馴れしくしてくる子。
就職してから、この春で私は六年目。なっちゃんは二年目。
同い年でも短大出身の私と院卒のなっちゃんは、学歴故か能力故か任される仕事が全然違うけれど、入社前からの知り合いだからという理由で組まされている。
「杏里さんすみません」
殊勝な態度で謝られても私は仕事上何の関係もないし、そもそもどうして名前呼び?と本人には言わずに、いいわよと素っ気なく返しておく。
――私の冷静沈着お姉さまキャラを守るために。
「僕はいいの?」
けらけら笑いながら間に入るなっちゃんに、和田くんは渋々頭を下げた。
「すみません先輩」
二言三言仕事のやり取りを交わす姿を見て思う。
二人は大学の先輩後輩にあたるらしく、なっちゃんの方は和田くんをキャンパス内で見かけたことがあると言っていた。和田くんの方は、なっちゃんの噂は知っていたという。
見かけただけ、とか噂だけ、とかから職場で繋がって愛に発展、とかしないかなあ。絶対楽しいのに、私が。始めはツンツンした和田くんがだんだんなっちゃんの優しさに気づいてほだされるとか――。
――ないな。
目の前の会話を窺う。なっちゃんは誰に対しても態度が変わらないから、特に和田くんを見る。会話をする気がないんじゃないかと思わせる返し方をする。あれだ、セカンドの走者を気にして牽制ばかりするピッチャーばりにまともに投げなくてキャッチャーが困るみたいな。喩えのくせにわかりづらいな。
困った顔を一切見せないなっちゃんに感心してしまった。
「永礼くん、今いいかい」
「永礼くん書類置いておくよ」
「永礼さん、一階にお客様がいらっしゃってます」
あっという間になっちゃん一色になる職場で、笑顔を絶やさないなっちゃんを尻目に私はパソコンの画面を見続けた。
「お疲れ様でーす。お先に失礼しますー」
気の抜けた声に時計を見ればもう六時。私の分はもう少しあるけど、あと三十分くらいで帰れるだろう。なっちゃんに手を振り挨拶を交わす。
ちょうど納品に出ていた和田くんが、図ったのかと疑うほどなっちゃんと入れ違いに戻ってきた。
「杏里さんお仕事終わりですか?」
「良かったら夕飯ご一緒しませんか?」
ご一緒しませんか?って自敬表現じゃないのかな。
「あなたはもっと日本語を勉強しなさい」
大学四年も通ったんでしょう、とまでは言わないでおく。
静かになった彼は放置しておいて作業を続けていると、普段あまりならないうちの部署の電話が鳴った。他に出そうな人がいないので私が取る。
「お電話ありがとうございます。こちら、株式会社――」
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