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物心がついた頃からミツルには母一人しかいなかった。親戚と呼べる人は見たことがない。だから広いこの世界で血の繋がりがあるのは母だけなのだと、ミツルは単純に考えていた。
転機は21歳のときに訪れた。就職活動中のミツルの前に父親と名乗る人物が現れる。ミツルはその人から「うちの会社に来ないか」と誘われた。都心から40キロほど離れた小さな町で建設業を営んでいると言う。
ミツルは悩んだ。毎日のように悩んだが、それを母には伝えられなかった。家の中で父親の話は一切タブーだった。
ミツルは母には内緒で父親の会社に勤めることを決意する。大学では建築を専攻していた。運命的なものに惹かれたのだろう。
毎日夜遅くまで働く母には「内定が決まった」とだけ話していた。嘘は言っていない。けれどいつまでも就職先を黙っているわけにはいかない。
母親から尋ねられたタイミングでミツルはその名を口にした。母はショックを受け、激しく反対した。それが理解できる理由なら兎も角、母はただ一方的に「ダメだ」と言うばかりで埒が明かない。ミツルは我慢が切れた。「俺の人生だ! 好きにさせてくれ!」、考える前に叫んでいた。
母親との関係がギクシャクしたまま、ミツルは就職を機に家を出た。
父親の建設会社は地元に根付いた優良企業で、小さいと言っても社員数は100人を超えている。新入社員のミツルには社員寮が用意され、新卒のわりに賃金は申し分なかった。
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