第一幕

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 急いで脱衣所に行き、面を見つけてほっとする。頭にお面をセットして、もう一度姿見鏡の前に戻って確認する。よし、と頷くのを祖母に見られて、恥ずかしくて熱くなる。  時計を確認したら、そろそろ一七時三〇分。もうそろそろ出ないといけない時間だ。  少し深呼吸をする。それから、祖母の用意してくれたお茶を飲んで、意気込んで玄関に向かう。鼻緒の黒い下駄を履いていざ行かんと一歩を踏み出した時、祖母に呼び止められた。 「そうちゃん、そうちゃん」 「なに、ばあちゃん」 「これを忘れちゃあ恰好がつかないよ」 「あ」  蒼志は財布を忘れていた。それが自分でおかしくて声を上げて笑って、そのおかげで緊張がほぐれた。 「ありがとう、ばあちゃん。行ってきます」 「行ってらっしゃい」  祖母お手製の青いきんちゃく袋に財布を入れて、まだ残っているそわそわした気持ちに胸をくすぐられながら神社の方へ。待ち合わせは神社の下、階段の前。待ち合わせ時間まではあと一〇分。余裕を持っての行動、というよりは、気持ちが急いてしまって居ても立ってもいられないというところだ。階段を一段飛ばしに下りられないのが悔しい程に。  すでに縁日は始まっている。まだ日は沈んでいないが提灯には灯りがともされ、そこかしこから粉物の香ばしい匂いや林檎飴などの甘い匂いなど、美味しそうな匂いが立ち上っていて、行きかう人々の顔は、老若男女関係なく皆楽しそうだ。  そんな祭の雰囲気を感じることなく、そわそわとしながら階段の前で佇んでいる。解けたはずの緊張がまた戻ってき始めている。  そんな落ちつかなさを知ってか知らずか、待ち合わせ時間一分前に、その相手は現れる。  白地に色鮮やかな花火柄、薄い桃色の帯。肩まである黒い髪はワンサイドアップにして、花の飾りがあしらわれた、可愛らしい簪を挿して、手には金魚の刺繍がされた白いきんちゃく袋を提げている。鼻緒の赤い下駄をからころと鳴らしながら、待ち人は現れた。  その待ち人に、すっかり目を奪われてしまっていた。 「こんばんは、そうしくん」  立ち止まり、お辞儀をした待ち人の、風鈴の様な涼やかな声を聞いて、蒼志は我に返る。 「こ、こんばんは、とまりちゃん」  緊張している蒼志とは対照的に、楽しみにしてきたのが見てわかる女の子、原沢兎鞠が、待ち人であり、思い人だ。
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