第1章

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共依存。 一言で説明するならば、「他者に必要とされることで自分の存在意義を見出だすこと」だ。もっと分かりやすくすると、「あなたがいなきゃ生きられない!」ということになる。最後に顔文字を入れればなお善しである。しかし逆に考えてしまえば、他者に必要とされない人間は存在価値がないということになるのではないだろうか、そんな疑問がふとよぎる。 ところが幸いなことに人間誰しも一人では生きてはいけない。自給自足するにしても、実を結ぶまでは誰かに頼って食い繋がなければあっという間にこちらの世界とはおさらばだ。引きこもりだって最初から引きこもりだった訳ではない。少なくとも親からは必要とされ、愛されて望まれて育った時期があったはずに違いない、僕がそう思いたいだけかもしれないが。 そして特に日本人は自らを誇らしく証明するに足らない人間だと認識している場合が多い。将来の夢を迷った挙げ句、他人の役に立つことがしたいと返答しておけば無難だし言及されることもない。自己証明を他人に押し付けることで自らの責任から逃れ一時的な解放感ばかり得る。 このように人は他人に必要とされたいし、他人によって自らの価値を立証していく。この共依存し切った世界でならば、誰もが存在価値を確立できるのではないだろうか。僕の答えはこうだ。いや、違う。 共依存の前提条件は他者を認識していること。つまり他者を認識できない場合は共依存がそもそも成り立たないのだ。そして自らですら自らを証明できないのなら、一層のこと価値性を感じることは困難になる。僕のように。 僕の記憶がなくなって、一週間近くが経った。
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